「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

人間が好きだと思う

昔好きだった漫画に「女優っていうのは人間が好きな人間がやるもの」という言葉があった。音楽もそうであって欲しいと思っている。

 

私は人間が好きな方だと思う。

でも、少し昔に「みんな、大好き!」とか言い回っていた自分は、本当に愚かだったなあと思う。

まず『みんな』って誰なんだよ、と。誰から誰までが含まれ、誰から含まれないんだろうと。その含まれない誰かがいる限り「みんな」は全然「みんな」じゃないじゃん。私を傷つけた人を、何かを搾取しようとしての対象としか見なかった人を、嫌なことをした、冷たかった人を好きと言えますか?目線を広げて、直接関わりがなくても、どうしょもないダメ人間を、犯罪者を、まったく違う価値観を人を愛せますかね?

それどころか、明らかに「大好きなみんな」に含まれているであろう人にさえ私は、きっと知らずのうちに傷つけたり、恩を返すのを忘れていたり、口だけの約束をしたりしているだろうから。そう考えたら、そんな無責任なことは言えなくなった、「みんなが大好きです」だなんて。もちろんマザーテレサのように、愚か者も、計算高い女子も、笑顔の詐欺師も、くそだと思っちゃう政治家も、すべての人を同じように愛せたら、そんなに強いことはないんだけど。いずれはそういうおばあちゃんになりたいんだけど。今の私ではとても不完全でそうはいかない。

 

別にそんなに重く考えなくてもね、みんなが大好き!と口にすることは『今自分の周りにいる人で』『自分が感謝している人が』大好き、という意味なのだろうし、そう思える人間に囲まれていることだけで十分で、それは物なんかよりお金なんかより何よりの財産なわけなので、ただただ、大変良いことなんだけどね。

 

でも天邪鬼な自分では、それが自分の事となると、「こんな素敵な人たちに囲まれてる自分、そんな自分が大好きなだけなんでしょ?」とついつい思ってしまうから。そしてその言葉を自分で疑ってしまうから、やっぱりもう言葉にはできない。(書いてる時点でちょっとは言ってるんだけど)

 

でも本当に思っているなら、それを本当に伝えたいのなら、私が私のままで突っ走りながら、体で伝えていくしかないと思っている。人生かけて。

私がそれを伝えたい人たちは、私が思うようにやればやるほど「いい!」と言ってくれる人たちなんだから。「あるがままで、なりうる限りの者でいてほしい」と、「それを突き詰める姿を見て奮い立たされる」と言ってくれた誰かなんだから。

だからもう、歌をうたって、遠くても近くても誰かに会いにいくことがすべてになる。

それがすべてでいいと今思っている。

だから迷うな。いや迷ってばっかだけど

言葉に振り回されすぎずに、自分の「やりたいこと」だなんて頭で考えすぎずに、思うようにやれ。そしてやり続け。

 

と、「さわやかな五月ー!」とか思ってたら、もうどうしようもないほどに五月病に陥ってしまい、ようやく回復してきた私は思うのでした。

今日は急遽、高円寺CLUBROOTSで19:40からライブです。

2組しか出ないらしいので、少し冒険もできるでしょうか。いつもの場所で自分を取り戻すんだ、そうなんだ。