「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

何が悪いのかわかんないなあ

いったい何が悪いのか。

 

「大人になってから泣くことは、危ういことだから、止められないのはわかるけど、なるべくそのことは分かってたほうがいいよ」

 

重々、わかっているよ。

”社会”という場で泣くことは、弱見を見せることで、そのつもりはなくても相手を責めたり、許しを請うように見えたりする。そしてそれ以上に、感情の崩壊は、それを見た人たちが無意識に制御して守っている規律を壊してしまうような何かがある。

 

私は恥ずかしながら幼くて不完全な人間なので、自分自身がそんな場面に関わることが多く、”社会”という場でそのことを実感して過ごしてきた。

たとえそれが、完全な公の場ではなく(たとえばお客さんの前とか)、親しい間柄の人達の前で、周りが許してくれていたとしても、それは同じだったので、大人なのに泣くことはなんだか悪いことだし、堪えろよ、という雰囲気はあったし自分自身にもそう思っていた。

こっちだって嫌なやつの前でなんかもちろん泣きたくないし、優しい人にだって気を使わせたくはない。

また、冒頭のセリフを私に言った人も、逃げ場のない正論を言ってごめん、と、正論ばかり言えばいいってもんじゃないよね。とは言ってくれた。泣くことを、感情の崩壊について責めるのではなく、「社会はそういうものだから気をつけなよ」ってくらいの気持ちでむしろ心配をして言ってくれたんだと思う。

 

それらもろもろのことを考慮しても。

それでもやっぱり、「泣いて何が悪いか」と思う。

『涙が出そうだ、だけど泣きたくねえ』と思う。何度も何度も思う。

でも泣いてしまう、自分への悔しさに泣いてしまう、誰かを思い泣いてしまう、いい大人だけどボロボロ泣いてしまう。

くそー!何が悪いか。何かを許してもらおうだなんて思わない、堪えて堪えて、それでも溢れ出してしまうものすら、制限しろと言うのなら、多分私にそれはムリだ。無理無理無理!

それでも「いい大人が泣くな」という人はいる、信頼できる人の中にもいる、身内にさえいる、近しい人にさえいる、そうだよ悔しいよ、悔しいからだからこれからは、部屋で一人で泣くよ、トイレに駆け込んで泣くよ、なるべく人目に晒さず泣くよこれからは。誰かに何かを許してもらおうだなんて一ミリも思わない。だけど私はそれをうまくスルーして心の中でそっと消化できる能力なんてないんだよ。

 

それでも悪いのか。いったい何が悪いのか、わかんないなあ。

みんな、人の感情が決壊するのに、もっと慣れてしまおうよ、クールなふりをしていないでさ、と思う。