「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

分かったフリ

1ヵ月前の自分が考えていたことが、ずいぶん幼くみえる。

別に「どんどん成長しています!」っていうわけでもないんだろうけど、グルグルと変化しているんだろう。

 

たまに『暗い』『根暗』だと言われることがあるけど(歌詞や歌の表現がダークに感じるのかも知れない/そもそもこのブログがいけないのかも知れない)、いいえ暗いとか、明るいとか、そんな風に二元的に分けられるもんでもなくて、私はいつでも真剣なのよ、深刻なわけじゃなくて、真剣なのよとただ言いたい。それを、暗いと言われるのかしら?

 

もう、上に書いた言葉から自分が変化している。

 

 

私は思い込みと偏見で生きているのかも知れない。

街を歩いて目についたもの、インターネットの中で見つけた言葉など。

「これはこうだな」「この人は○○っぽいな」とりあえずそう決めて、また次へ行く、「これはきっとこういうことだな」・・・

だって、「これはどうしてこうなんだろう?」「この人は一見○○にみえるけど、本当のところはどうなんだろう?」なんて、いちいち考えてたら、キリないでしょ。

自分でどこかで判断して、そういうことにしないと、やっていけない。

だけどときどき思うのよ、もしかしたら「これはこうだな」って思う「こう」がまったく間違っていたらどうしようって。別に、何も害はないものだったら問題ないじゃない、美味しい林檎を青森産だって決めつけてたけど本当は長野県産だったとしても、それはそんなに重大じゃないじゃない。でも微量の毒入り林檎を身体にいいと思って、または何も考えずに食べ続けていたとしたら、どうなるの。

また、林檎だと思っていたものが、実は林檎じゃなかったら、そのときはどう?

これは別に食物どうこうっていう話ではなくてね、林檎は私の思考なのよ。

だから思い込みで生きる私も時々は考えるのよ。「これは本当にそうなのかな、大丈夫かな」って。自分の考えを更新させて、変化させていくのよ。

 

*

 

企画ライブ、そして初めてのフェス参加、JAMFESが終わって、思い返せば半月たらずで感動的な瞬間がいくつもあった。

企画ライブは「今までで一番良いライブだった」と何人かに言ってもらえ、そこまでか!♪と有頂天になりながら当日の動画をみたら、走りっぱなしでとても完璧とは言えなかった。もちろん動画では伝わらない、場の雰囲気などはあったのだろうけど。

そんな簡単に、満足にさせてなんかもらえないわけだね、フフ、と、自分への悔しさはいつまでも消えず、ただ出会った人達だけは間違いなく暖かかったと、そのぬくもりだけはしっかりと受け止める。

 

ジャムフェスもそう。どんなにもがいても、自分から抜け出せない。本当は自分なんて捨ててしまいたい。自分を見て欲しいなんて、究極を言うとそんなことよりも、あなたがただ幸せならばいいよと。なのになぜ、「自分は、自分は」と思ってしまうんだろう。

そんな私すら「もがいている姿を見てたよ」と肯定してくれる人がいること。

本当はあなたが苦しみなく幸せなら 私は必死になって下手くそな音楽やる必要もないと思っている、だから多分歌うのは誰かのためなんだけど、結局そのことによって自分が誰かの優しさに直に触れることができる。

そういう意味では自分と他人は、違うようでいて同じものかも知れないと思う。他人だけど自分、自分だけど他人、またグルグル回る。

 

 

この前免許を更新しに行ったときに。

最近は本当に、ほぼ自分の好きな場所、好きな人達の近くにしか行かなくなったために、良くも悪くも心が開きっぱなしになってるのですが、

その日は教官が、

「私の授業を聞かない人は今すぐ退出してください。(スティック?のような長い棒で黒板のカツンカツン叩きながら)そこの女性。今下を見ていましたね?(教科書みてた)僕の方を見ないなら出てってもらって結構です。はい、君は回答してくれてありがとう。近頃はお礼を言える若者が少ない。」

的なしゃべり方を2時間ずっとしている人で、「わあああ、そうだ、そうだよね、今の私の周りにいないだけで、こういう人も存在してるんだよね。うわああ。どうしよう、どうしよう」とものすごく戸惑った。

『生きてさえいればいい』『適当でも楽しくいこうぜ!』ってことが間違ってるなんて思わない、でもぬるま湯に浸かっていたつもりもないのだけど、それと真逆の「そんなこといいから教科書の7ページを見ろ、見ないやつは不合格」というような、なんというか圧力のようなものに対して、ずいぶん弱くなったなとしばらくボーっとしてしまった。

 なんでこんなにエラそうなんだよ、本当に出ていってやろうか、という刺激されて荒ぶった気持ちをゆっくり頭の中を整理して、これは自動車教習なので、運転は人の命に関わることだから、厳しくやっているのだな。とか、この人にとってはこの仕事が生きがいなのだろうな、とか、考えて気持ちを落ち着かせたのだった。

 

偉そうに言えることは何もないけど、私は私を保つために何かを思い込もうとしている。だってそうしなきゃどうしようもないじゃない。現に今だって、考えてグルグルし始めちゃったら、気持ち悪くなってきたし。

だったらその「思い込み」を少しでも良い方にしたい。特に害はないのなら「あいつはいい奴」と思っていたい、あいつが悪い奴だったとしてもね。

 

いつも自分が知らなかっただけで、当たり前に存在していた世界にビックリする。

私は私で、こういう風に過ごすのが当たり前になっているのだけど、全然違う人たちもいっぱいいるのか、と当たり前のことに驚く。同じ日本でもね、私のSNSのタイムラインが『声をあげよう!』『格差をなくそう!』と言っていて、世界が変わってるかもと思っても、そんな声はまったくない、聴こえない世界に生きてる人だってたくさんいるんだろう。むしろその方が多いだろう。同じSNSでも可愛い女の子のことや、何か私の知らないもので埋め尽くされている人や、そもそもおばあちゃんみたいに そんな画面はまったく見ていない人もいる。

当たり前だけどね、わかってるけどね、どうも自分の世界は自分からしか見えていないかったみたい。それが仕方ないのなら、思い込みからの自分の仕草を、行動を、少しでも良い方に。少しでも。自分にとって、じゃない。自分にとって都合よくじゃない。あなたにとって、そして私にとっても。それが全然違う世界に生きてる誰かへできる唯一のことだ。

 

ちなみに私はペーパードライバーです、助手席が好き・・・