「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

そう、あなたのことよ

東北遠征、最高でした。

素晴らしい、と、ありがとう、の他に、一体どんな言葉を使えばいいんだよと思っていたら、主催の千葉ケイコちゃんも「言葉にしたら嘘っぽくなってしまうけど」というようなことを言っていて、同じ気持ちだなと思った。千葉ちゃんは本当に母みたいな人。みんなのお母さんみたいな人。オバチャンとかそういうことじゃなくて、本当に女性の母性のいい部分を集めて 本能で周りを包みこめるような温かすぎる人。

 

【感謝御礼】7.23 千葉ケイコ×オリハント共同企画「あぼんど」山形 エレキ酒場オリハント|せきららだいありー

【感謝御礼】7.24 「心に灯りが灯るまでvol.4」仙台Cafe B.B.|せきららだいありー

↑千葉ちゃんのブログ

 

 

とにかく人が暖かくて、私は自分の生まれた埼玉も今活動している東京も好きだけれど、何か人間の『質』というものが違うと感じた。

そりゃあ東北だっていろんな人がいるのでしょうけど、先週の郡山、そして山形、仙台とライブをして、東北の人々の『本質を感じ取る力』の純粋な鋭さをものすごく感じた。

 

ノリのよさ、ポップな心地よさ、切れ味の鋭いカッコよさだけではなく、「この人は何を伝えようとしているのだろう?」ということを、色眼鏡なしに、目にみえない感覚で感じ取ろうとしてくれている雰囲気。

私にとっては、”嘘がつけない”という緊張感と、そして”本当のことを歌っていいんだ”という安心感につながりました。

ヨソモノですけど私、東北が合ってるなと勝手に思っています。だからいつでもまた行きます。

安い高速バスが、意外と快適で早いどころか、ずっと景色を眺めながら音楽を聴いたり歌詞を思い浮かべたりするのに最高の環境だ、と気付いてしまったし。

 

すぐにまた会う約束をしたので、ちょっぴり切なくとも、悲しくはなりません。

二日間一緒だった千葉ケイコちゃん、キリンイヌ。

ちめちゃん(大立目朋子)、まっちゃん(まっと)、金子ヤスタカ氏、あっちゃん(パーカッション:アツシ)山形市オリハントのミキサンご夫妻、仙台カフェB.Bの店長ご夫妻。

まっすぐな目をしたお客さん。終演後に話してくれたお客さん。

ありがとうございました。こんな風にブログに挨拶を書くのは初めてだよ。これがミュージシャンのふつうのブログだよそうだよ。

 

*

 

もう一つ、私すごく勝手にだけど、東北が「これからの希望の地」だと思っているんです。

今日も幸せな出来事の後で浮かれてたら、悲しいニュースが流れて、最高だった!とか言っていられないなぁと、私はまたSNSで喜びを表現するのを躊躇ってしまうわけです。

 

で、そのニュースについての世間の言葉なんかや、最近の出来事とかも併せて考える。

私が見ているものは全体ではなくまたほんの一部分なのかも知れないけど、その『確かに存在しているその一部分』に思いを巡らせると、やるせない気持ちになることばかりの人は、私の他にもいるはずで。

それでも私たちは、

『それは自分とは関係のない誰かのせいだということで誰かのせいにして、誰かを悪者にし、自分が心地いいと思う=自分が傷つかないで済む考えの中に自分を落ち着かせて、そしてじきに忘れてしまう』のだと思います。

それは私たちが、『自分が傷つかないで済む考え』を繰り返していても、それで生きていける時間を長く過ごしてきてしまったがゆえの、『クセ』になってしまったことなのだと思います。

ラクチンなものは、ラクチン。車に慣れてしまったら徒歩が大変なように、わざわざ苦しい方法を選ぶというのは、なかなか出来る事じゃないので、当たり前かも知れません。

でも、何か大きなもの<世の中の流れ>的なものが 『ラクチン』なものにだけ流れるとしたら、それが必ずしも良いものだけにならないと、なんとなく気づきませんか。

車は便利だけどたまには歩かないと太るよね、と。

 

話を戻すと、東北の人達は『ラクチン』だけに身をゆだねては生きていけないことを、関東の私たちよりよっぽど感覚で分かっているのだろうと思います。

勝手に、偉そうに私が言えることではないかも知れないですが、それは、大きな悲しみを目の当りにし、それでも生きている人達だから、ではないかと思っています。

 

私もラクチンが大好きです、でもラクチンに溺れすぎて、周りが見えなくなってダメになりそうなときに、「ちょっと待って」と教えてくれるのは、東北の人なんじゃないかと。

これからの私たちに、希望を持ちこんでくれる存在なのではないかと、

勝手にそんなことを思っていて、すみません。

 

 

最後に、仙台で一番反響があった自分の曲、『100年後』の歌詞の一部をここに書き出しておきます。

ただ攻撃的で過激なだけ、ととられてしまうような気がしていたので都内のライブでは最近あまり歌ってなかったのですが、東北でとても好意的にとってもらえたというのも、そういうことだと思いました。

 

 

もう無関係でいられないよ、って言ったら 熱い人か左右どちらか扱い

 

あなたの興味いっぱいの新製品も いざというときガラクタだ

 

毎日気を張っていろ、なんて言わないよ

だけど関係ないようにみえる 時も土地も 地続きで続いているから

 

客観性をなくした私たちはそれでもまだ気付かない

それどころか、勇敢な人をみて悪口を書き殴っては自分の弱さをひた隠し

でもよくみて その弱さ、隠れてないで出てきちゃってんじゃないの

 

 

*

 

ほらもうわかったでしょ。

『正義』なんていうのはそれぞれにとって意味の違う言葉だから、もうそれを理由にするのはおしまい、ということが。

 

たった一つ正しいことがあるのだとしたら、一人も犠牲にせずに一人でも多くの「安心」を生み出すこと。

それ以外は、ただの自分の嗜好なのかもね。