「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

岡林信康さん

9月11日、電車に2時間強揺られ、埼玉は秩父皆野町まで、

『フォークの神様』岡林信康さんのライブを見に行きました。

 

偉大な先人に対して私なんぞが語れる知識などというものはないので、そのあたりは公式のBIOGRAPHYや、40台後半~50、60台位と思われるリアルタイムでのファンの方々の考察にまかせます(検索するとたくさん出てきます。ライブの客層もやはりその位の方が中心でした)

BIOGRAPHY - 岡林信康 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

 

ただ私は、今の自分で感じたことを言います。

いや、ほんとは言葉になんかできない。

「あの人は、こうだと思いました」なんて言うことはできない。やろうと思えば出来るんだけど勿体ない。

ライブを観て、多分自分が頭で思っているよりも、遥かに感じているであろう多くの感覚ことを、無理やり言葉に収めてしまうことが勿体ない。

 

もう既に『多くの輝く過去』を積み重ねてきて、今それら全てを飲み込み、なお未来に繋ぐであろう音楽が目の前にあった。それを感じる人々の数は、どこにいるか、どれくらいいるか、どのくらい影響を与えたのか、数字だけではずっと測れないだろう。時間軸や空間を、『人の心』というものを介して繋ぎ続ける。

とても私に掴みきれるものなんかではない。

だから今私がかろうじてしゃべることが出来るのは、私目線だけの狭い世界での一元的な偉そうな解釈ではなく、「私の気持ちはこう動いた」という、ただの報告だけなのだと思う。

 

前置きが長くなりましたが、

とりあえず4回は泣きました。とても感動しました。人生の中でもそうそうない位。

 

私はメラメラ燃えるような激しいものばかり好きになってしまいがちで、岡林さんにもそんな印象を持っていたけれど、そんな自分が根底からひっくり返るようなのに 否定せずにすむような、優しくおだやかでありながら 凛と燃えている、という両立。

 

たとえ岡林さん自身の人生、歌や、岡林さんの生きてきた私とは違う時代の歌であっても、人々と溶けあってそれはまったく違う世代の私の中にも切なくなるほどに染み込んでくる。

これはどういうことなのだろう。

これはどういうことなのだろう。

 

さっき『輝く過去』と書いたが、本人やそれを観てきた人からしたら全部が全部輝いてはいなかったかも知れない。若者が美化してそう思っているだけと思われるかも知れないけど、それでも『輝く』と言ったのは、

私は人間が暮らすというものが根本的に 自然なものである限り尊いと思っていて

自分が人間である限りは、遥かにどんな物よりも尊いと思っていて、

だからその尊い営みを 美化するでもなく、淡々と、そのままに歌うことを、

矛盾するけど、美化しないから美しい、と思ったことでそう書きました。

 

ああああ結局講釈みたいになってるけど、違うんだよ、私は曲の合間に岡林さんが話したことで、多分生涯忘れないだろうと思うエピソードがあって、

それはある北海道のライブハウスで主催者が「私は人生に疲れて自殺しようと思っていたときに ラジオから流れてきた岡林さんの曲を聴いて、生きようと思った。だから岡林さんは私の命の恩人なんです」と話したのに対し、岡林さんが答えたという言葉。

 

「あなたの命を救ったのは、私ではなく、私の歌を聴いて 生きようと思った、あなたの感性です。」

 

私は震えたよ。

そのあと「謙虚だと思われて、余計面倒くさいことになった」と笑い話に変えていたけれど。

 

私も、「まだ弾き語り始めて2年なんですぅ~」とか言ってちょっぴり自分に言い訳しながら、なんとか人前で歌を歌ってはいる。

そして何ならば、人が元気になればいいし、死にたい人が生きたくなればいいし、良い影響を人に与えたえられたら、なんて思っていたりはする。

だけどそうなんですね。 「元気になって欲しいというのは押し付け」、と言うほどにはそれは悪い感情ではないと思うけど、でもきっと、本当に人が救われるときというのは、「これで元気出してね」と差し出されたものからよりも、

誰かが自分を研ぎ澄ませて研ぎ澄ませて 感じ取った感覚が、他の誰かの感性にそっと触れたとき、なのだと。

「私の思う元気はこれだから、あなたもそれを感じてね」と言われることで助けられるときもあるんだけど、それよりも深い実感として救われるのは、「私と同じ人間がいたんだ」と心の奥底で分かることなんだと。

自分のためにやることが誰かのためになるということは、そういうことなんじゃないか。

 

 

そうして私は岡林さんの歌を聴いて、自分のことに、自分の周りのことに思いを巡らせる。

そんな私にとっては新しい脳みその一部分が開いたような感覚に、岡林さんは当たり前のようにまた話をする。

 

「歌を聴いて感想を言う人、その感想はその人自身の体調だとか、気分の問題であり、その言われたことを自分は気にしない」(要約です)

と。

 

私は、私は、私は。

素晴らしい音楽を聴いて、それでも私は「私は」と自分の物語につなげてしまう。

そう、だけどそれでいいんだよ。

自分の拙い歌詞が頭をよぎる。

 

『また悪口を言われたよ 悲しいセリフだけど 言葉は話す彼自身の物語さ 私登場しただけね』  

 『思っているより、私たちはひとつです』

【変わり者】斉藤めい

 

わかってたじゃないか、なかなかやるじゃないか自分、とか思いながら。

 

いろんな人がいろんなことを言うだろう、それをいちいち気にする。人間だから仕方ないさって、気にすることはないって言われても気にし続けてしまうけど、その「気にし方」を、「こんなこと言われた」と自分に対してじゃなくて、「この人の今の心境なのだろう」という想像力に変換したい。

そして自分は自分を研ぎ澄ませていく。周りのものをはねのけてしまうのではなく、そのままにしながら、とにかく走っていく。

走ることがいつか、誰かに触れて救いになるように祈りながら。

 

それに気づかせてくれたフォークの神様と、あの場所であの環境を作ってくれたライブハウスとその店長さんと、「若いのに珍しいね」なんて言って話しかけてくれた隣の席のお客さんと、全然本数がなく真っ暗な夜を突き進むローカルな電車という、人間の営みが色濃く残ったあの夜と、あの夜に至った全部に感謝を告げながら。

そしてちょっとだけ、それを感じ取ることができた、自分の感性をほめながら。

 

岡林信康 ♪ 26ばんめの秋(2010.10 朝日連峰大鳥池~以東岳) - YouTube

 

*

 

本当は書くのがもったいないような夜でした、歌詞にしたら何十曲分と作れるんじゃないか、と思ったけど、

大丈夫、それでもありあまるほどあるさ と思うのと、誰かに話したかったので、書きました。 笑

 

 

最後に自分の拙い歌詞をもう一つ。

『ああ なんでもたくさんあれば幸せ だと思ってる私が 本当に心から欲しいものは

 作られて与えられたものではなく、あなたが繋いでくれたものなのよ いつだってね』

 【不労所得】斉藤めい