私に足りないのは勇気ですか
「考えすぎだね
でもめいちゃんはこれからも考えるんだろうね
だからそのままでいいと思うよ」
考えに考えて、やっと「1~10」のどれが正しいか思い至って、
でも1~10のどれでもない場所に「考えない」という方法があったのだと、私はあの人に言われるまで気が付かなかった。
「考えない」とはどういうことなのだろう、感覚だけを頼りに、直感というものを手がかりにしていくことだろうか。心の赴く方にいくことだろうか、でも直感が鈍ってしまったら、私の場合、とんでもないところに行ってしまうのが怖くて、やっぱり考えてしまうよ。
とか言いながらまた考え始める。そんな簡単には変われそうにないけど、そのままでいいんじゃない、という優しい響きに救われている。
頭で考える事だけが全てじゃない。音楽なんかはまさに、「よくわからないんだけどあの人の歌を聴いてたら涙が出た」とかそういうことがある、その感じ。手で触れたときの感じ、なんとなく気分がいい感じ、寒くなってきた空気の中で日差しを浴びる時の、生きてるなあという感じ、むしろそっちの方がすべてだろう、と思う。説明なんていらないことのすべて。
そのことをもっと信じていたいのだ。頭で考えてこんがらがって、嫌な予感、悪い想像、そんなものに捕らわれるくらいだったら、目を瞑るように思考を閉じて、涙が流れそうなほど愛しい出来事と人々の方へ、自分を放り出しておけ。
失くしてしまいそうで怖いものなんてもうとっくに失くしてる。
まだまだ怖い、怖いから、頭で冷静に考えて怖い方まで行ってしまわないようにストップをかけているけれど、「大丈夫でしょ」って自分にストップかけず自由にいた方が、今からの私には素敵な出来事が舞い込んでくる気が、するわ。
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何やら不穏なニュースばかり見ていると、なんとかしなくてはいけない、という焦燥感ばかりになる。時に世の中のことで。
だけど激しい焦りから何かを起こすよりも、大丈夫だよ、何もかも大丈夫だよ、と言う。
ちょっと慣れてきたら、楽しくできるよ、と、もっともっと慣れることができたら、弱く逞しくあろう、と言う。
そして自分がその通りの生き様で生きれば、そのことが、遠回りでも、なんとかしなくてはいけないことをより自然な方法でなんとかできる日が来るのではないかと思う、例え私が死んでからだったとしても。