「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

あの夜 その夜

とても感動できる夜があって、そういうときはお酒は1~2杯くらいなのに、頭の中がグワングワンと回って、いろんな人たちの顔を思い出しては涙がぼろぼろ出てくる。

でも不思議と哀しい気持ちではなく、どっちかというと大いなるものと繋がってるような、どこか切ないんだけど完全に満たされた気持ちのような。悲しい出来事さえも、「良かった」と思えるような、いやちょっと違うかも、「存在しててよかった」と思えるような感じか。

誰かの顔が出てくる場面はこれが走馬燈か、と思う、こんな一連の気分は、よく聞くところの死ぬ直前の気分みたいだ。だけど私はまだまだ生きてる。

こんな、少しトリップしたような気分について、のこと。

 

歌い始めてから、ときどきこういう気分になれる夜がある。

『何もかも間違いなど一つもなかった』と感じることができる。

 

それはただ単に楽しかった、というだけでなく、多分、自分を出し切って出し切って出し切れたときに、なるのだと思う。

そしてそれを誰かが、暖かさをもって、受け止めてくれたとき。

勿論いつも出し切ってるつもりではいるのだけど、知らないうちに臆病になり、『こんな自分じゃ受け入れてもらえないかも知れないから大人しいフリをしておこう』とか『今日はこのくらいがちょうどいいんだ』とどこかで思ってしまって、出し惜しみしてしまったときだとか(すべて無意識だとしても)、そういうときは、絶対に起こらない。

 

でもいつでも誰にでも受け止めておくれよとは言えない、だからまずは、自分が、出し尽くせばいいんだと思った。

もしも、自分の心にあるものを全て出し尽くしたのに、何にも反応が返ってこなくって、辛い思いをすることがあったとしても、それでも余力を残している場合じゃないんだと。

 だってこの気分は、さっき、死ぬ前の気分みたいと言ったけれど、まさしく、私が死んでるから味わえるんだと思う。

身体は生きてるけど、古い自分、「オマエなんか価値がないよ」、「私はどうせダメだ」と思ってた、今までの自分が死ぬから、味わえるんだと思う。

そしてまた生まれる。「すべては大丈夫だ」と思う自分が産まれてくる。

だからどんなときでも、怖がらず、いーや怖がりながらでもいいから、自分を出し尽くして一度空っぽになるまでにして、旧:自分にさようならをする。また生まれてくるから大丈夫だよ。

 

「危ないクスリやってる人みたいな気分?それって幻覚じゃん?」とかって思うかしら。

でもね、次の日確かにちょっとだけ強くなってるんだよ。次の日起きたらまた正気に戻っていつも通りの日々。それでも、その夜を越えたのは幻なんかではなく、確かに自分の中に残り、前よりも少し自分を信じられるようになっている。

幻覚ではない、手ごたえ。

 

だからもう『もしかしたら受け入れられないかも知れないから』と自分を引っ込めるのはやめにして、出し尽くす。それ以外には、ない。

そのときにあなたが1ミリでも受け止めてくれたなら、私はとても幸せで、何度でもその夜は訪れる。

 

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ああ、私は、友達にさえも上手く伝えてわかりあうことが、できないよ。

まだまだ学ばなければいけないことが多すぎるよ。

それでも、それでも、絶望はしない。一つ、また一つの、出来事に傷つくまでもなく、たんたんと、思いを話す。感情的にはならない。だってもう、言葉の中に感情は入っている。

私はいろんな人からの受け売りで、そして世界に一つの言葉を話し始める。

疲れたらリラックスモード。お風呂にゆっくり浸かりましょう。