逃れられないなら逃れようとしない
私から逃れられない。
もう何度も何度も何度も繰り返してきたことなんだけど、小さな疲れを積み重ねてしまっていた。
空いてる時間に曲が書こうとしたけど全然思う通りにいかないとか、良いライブしたぞ!と思って録音したものを聴きなおしてみたらあんまり良くなかっただとか、職場に行ったら自分の要領の悪さにイライラしたりだとか、
そういう小さなことが重なって、いつのまにか
「う~ん、どうしたらいいんだろう」って頭でばっかり考え始めてしまって、
頭を使う=実はものすごく体力を使うこと、であるのであって。(人によって体質とかで違うかも知れないけど、私にとっては明らかに、考えすぎてるときとそうでないときの消耗が違う。睡眠時間、テンション、食欲、何もかも。)
消耗して、気付いたら寝落ちしてしまっていたりだとか、それで「ああ、予定が思い通り進まなかった」と自己嫌悪をする、そして自己嫌悪にも頭を使うので、またより疲れるという負のループ。
ここから抜け出すにはどうしたらいいのか。
とか考え始めちゃうとまたループにはまる。
なので、効果があるとしたら、多分何かを、すっぱり止めることなのだと思う。
それは「やらなきゃ」「何かをやらなきゃ」という焦りを止めて、「今日は寝る、休む!」と諦めてそれを実行することなのだと思う。
そーーんな簡単なことをなぜ言ってるのか?と、思われる人もいるかも知れない。
だけどほんとにね、私にとってはとても難しいことだった。
多分、「やらなきゃ」「何かをやらなきゃ」という焦りを止めるっていうのは、
「自分、現状で結構うまくやれてるよ」っていう、ある意味『自信』みたいなものが必要なんだと思う。”今すぐ何かしなくちゃ”とか思わなくてもいいよ、一つ一つやればいいからね!という自分への自信もやさしさも余裕も、なかったのだと思う。
「お前現状じゃ何もないから早く何か成し遂げろ!」と、自分をいつも責めているのだと思う。
でもそれで体力も気力を消耗して、結局何もできずにいるのでは、非効率だ。
本当は自分は世界でたった一人の価値ある人間なのに!とかではなく、
ただただ、非効率だ。
効率が悪い。
昔からなんだか燃費が悪い。
最初から省エネできる人が羨ましい。
心からうらやましい。
「行動にうつせ!」ってさ、すごくよくわかるんだけどさ、行動する気力も余裕もないときはどうしたらいいのよ。
抜け出す方法は正直わからない。
だけどなんか今、私は書いてる。
書いてるってことは回復し始めてるっていう事なんだと思う。
ブログを書くペースが遅いのは、そういう、「ダメだと思ってるモード」のときは、本当にだめだ、だめだ…とかばっかり書いてしまって、それでボツにする。だめだ、のままで人目に晒してしまっても別に問題はないのかもしれないけど、私の場合はだめだ…で終わるのは嫌なので載せない。でも調子いいときはいいときで、立ち止まることなく動いてるから、ゆっくりブログを書く。とかしなかったりもする。
だから書いてるってことは、なんか辛かったけど、そろそろ大丈夫、っていう移行時期なんだと思う。そろそろ何か動き出せそうかも、っていう時期に書きたくなるんだと思う。
そういうことにしてる。実際そうだから、そうなのか、そういうことにするから、そうなるのか。
わからないけれど、少しずつ人に見せても大丈夫な自分になれてて準備運動みたいなもんだと思う。
調子悪い時期から、いい時期に移行してると思う。
そのことを、一体誰のためになるんだかはわからないけど、書きたかったんだと思う。
何もかも上手く言ってて調子いいぞ、と思うときと、自分なんか何もできないしダメなんだ…と思うときの、テンションの波の差が大きくて、本当に何なの?めんどくさいな自分…と思うけど、そんな自分から逃れられない。
なら、逃れようとしない方がいいのかもしれない。
ダメな部分をこそ、歌にして…!とかも、力んで考えない。考えなくても、出てくるときはきっと勝手に出てくる。
疲れてしまう原因が積み重ねなら、きっと元気になるのも積み重ねなんだと思う。
今なら、できそう。と思うときだけ、まず部屋を片付けよう。パソコンのファイルを整理して、昔の自分の音源とか聴いてみて「ふーん」とか思おう。
決められたことなんか何もできない。流されて流されて、いつも自分の感情に引っ張られているだけよ。なんでも、できるときにやるだけよ。
自分を肯定するなんて、ただの言葉よ。考えれば考えるほどわかんなくなるよ、「自分を肯定するって何???」。
肯定しようとして、「あなたはそのままでいいんだよ」、「じゃあ今現在、そのままでいいと自分に思えていない自分はダメなのか」ってなる位なら、どんな言葉もいらない。
言葉に助けられても、言葉にとらわれてはいけないんだと思う。
考えるな感じろ、というより
考えるな無になれ。
でも別に無になれなくたって、どうってことない、誰も責めない、死にはしない。
多分私たちはいつまでも、根本的には変わらないのかもしれないから、
今は、一番自分が苦しくないのが正解なんだと思う。