嗚呼
いろんな人がいろんなことを言うよ。
あの人もあの人も間違ってない。全部正しい。
だからそれを一度全部受け取ってみて、解釈してみて、「あの人はこういう立場から物事をみてるからああいう風に思うのかもしれない」「私は違う意見だけどあの人の経験してきたであろうことから言ったらあれは正しいんだろうな」とかって全部全部考えてたけど、
なんだか疲れてきてしまったので。笑、これからはちょっと変える。
誰かが言う、どんなに正しそうに思える意見だとか、どんなに『現実を一番とらえていそう』な言葉だとか、そういうのよりも、
どんなに根拠がなかろうと、自分の胸で信じているものだけを見ていくよ。
それは、現実を無視して、自分の都合の良い方にとらえてみないフリして逃げる、とかいうのとはちょっと違う。
いろんな人から見た現実を、それはその人からしたら紛れもない「実際に起きている出来事」なのだとしても、私には私の目の前にある『予感』というか、『気配』というか、私が信じないで他に誰かが信じるんだよっていう、自分が今まで見てきたこととか、わかんないけどとにかく 自分の身体を通って自分の眼や心に映し出される世界のことを信じたい。
信じたいものを信じていきたい。根拠などなくていい、目の前の現実が少し追いついてなかろうと、そんなことはどうでもいい。
私がその世界を信じていれば近づくだろうと思う。
だって、ここからの景色を見られるのは、世界でたった私だけ。
苦しいことも辛いことも、楽しいことも幸せなことも、全部私のもの、他の誰の基準でも気分でもない。それを大事に思えて、初めて私は地面に立ち、存在し、他の誰かに曇りなく目を向けることができるだろう。
研ぎ澄ませ、研ぎ澄ませ私の感覚。
合ってる、全部合ってる。
苦しいものは苦しい、苦しいと感じることが悪いんじゃない、辛いと思ってしまうことが弱いんじゃない。弱さをなんとか誤魔化そうとするな。器用に振舞おうとするな。
外側に貼り付けるものばかり増やしていく前に、小手先の技術だけ身に着けていく前に、どうか私を私が 静かに立ち支えられるような 凛とした確信をくれ。