「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

引き出し

怒涛の4月を過ごしておりました。

いいよいいよ、いい感じだよ。

悪いときもご愛敬。大きく見れば、そう、それでいいんだと思える感じ。

 

4月は福島の人たちとたくさん会ったなあ。

玉出身だけど、なぜだか私は福島が大好きで、小さい頃から姉妹都市の関係でたくさん行っていたこともあるんだけど、たぶん福島の人に希望をみているからなんだと思う。

素朴で真っすぐで純粋で熱い人たち。そりゃあ福島だっていろんな人がいるんでしょうけど、私の出会った人たちはそういう人が多かった。

そしてその純粋に加えて、あの大震災、福島はいつだって「当事者」だから。

とても大きな出来事でしたよ。それでも東京に住んでる私や私の周りは慣れて、忘れてってるよ。

時間が経つと薄れていくのは福島の人だって変わらないかもしれない。それでも、私がつい本当に忘れてしまいそうになる「本当に大事なこと」を、福島の人たちが思い出させてくれるような気がしてならない。

命とか、安全な生活とか、人の体温とか、大事ですよ~と言われても、言われ過ぎて「わかってるよ!」と聞き流してしまいそうな、当たり前について。口だけでない、身体に染み付いたその本当の意味を思い出させてくれる。

そして決して悲観的ではない、強さもある。

 

来月アコワンというコンテストでいわきに行きます。

アコワンは、平たく言えば、福島開催のフェスで歌える人を投票で選ぶアコースティックのオーディションですが、私が一番体温を感じるオーディションです。

「オーディションは政治」だと誰かが言っていたなあ。純粋な実力、人気に加えて、戦略、というか、その日にどれだけ有権者を集めるか、そのときまでにどう自分に入れてもらえるような動きをとれるか、というのが大事という意味なのかなと思う。

政治はめっちゃくちゃ苦手だなあ(笑)だからといって「どんな中でも、私が私らしくやれば、人の心がきっと動いて、奇跡が起こるはず!」というのは現実わかってなさすぎる甘すぎ認識なのかもしれない。

それでももう苦手なことは潔く諦めると決めて、その奇跡が起こるまでやる。起こらなかったらまたどこかでやる。それの繰り返しなんだと思う、私のやっていることは。そう簡単にはいかないけど、目指している限りは、誰かの心に触れられることが少しでも増えていく。増やしていきたい。

 

そんなに人の心に触れたいかって?なんでかって?

自分の存在意義を認めたいから?いや多分だけど、それよりもっと根本的な心の部分でそう思っている気がするよ。生物としてというか、人間に生まれてきたからには、というくらいのところで。

だって面白いじゃない。人と人は分かり合えないよって、傷ついたあの人は言うけれど、思わぬところで、思わぬ誰かと、思わぬ部分で、思わぬフレーズのところで、思わぬメロディーで、思わぬ瞬間に。分かるときがあるんだよ。分かるときは少し触れてるんだよ。見たこともない誰かに、見たこともない場所、知らない体温に。

それよりも美しいものがあるのだろうかと思う。

だから生きてる限り手を伸ばすよ。

 

そりゃわからないよあなたの気持ちはさあ。分からないよ全然わからない、私は私のことというか私の人生でいっぱいいっぱい。

私はね、今まではたとえば自分の「楽しい」って書いてある引き出しの中に「悲しい」「苦しい」「悔しい」とかの感情が入ってしまってて、もうグッチャグチャだったんですよ。だから「なんで!」って、「なんで楽しいことのはずなのに苦しいんだ」とか、思わぬところで体力も精神力も削って、毎日ヘトヘトだった。分けられてなかった。それは、なんだろ、見ないようにしてた、向き合わないようにしてた…とか逃げの意味っていうよりは、何が悲しくて苦しいのかその正体が分かってなかったというか、「私が弱いからそう思う(悲しいとか思ってしまう)のだ」って、自分のせいってことにしてたからかもしれない。

いいんだよ、嫌いなものを嫌いと思っちゃっても、出来ないことをいつまでもできないままでも。悲しくて苦しいのは非力な自分のせい、ではなく、そう思ってしまう環境が原因ということも少なからずあった。

はっきり言ってしまうと、気の合わない人たちと長い時間一緒にいなきゃいけない空間とか、出来ないことを出来ないやつはいらん!と無言のプレッシャーをかけられる時間とかね。(またそれを「私よりあの人たちが優れているから自分はそう思うんだ」とか思っちゃってたから苦しかった)

 

そりゃあそんなとこに居続けたら、そんな弱気にもなるわ!

もーいいからと、原因になる環境を自分から追い出して、少しずつ、この「苦しい」は○○だから「苦しい」ね、「悲しい」は○○が▽▽だったから私はそれを××と受け止めてしまって「悲しい」のね、とかって、ちゃんと原因と結果を分けるようにした、なんでもかんでも悲しい!苦しい!辛い!!!理由は全部とにかく私がダメだからーーーー!!とかゴチャゴチャにするのじゃなく。この苦しいのはこの原因があったぞと。あいつにあんなこと言われたからだぞ、じゃあそれを取り除いてくぞ。あいつがいる場所にもう行かなくてもいいし、どーしても逃げられないなら受け止める自分の側を変えてみようか、笑顔で言い返してみるのはどうだ、と。(←これはまだ私もできてない、まずは逃げられるのなら逃げるのだ)もちろん向こうは向こうで思うことがあったりするのかもしれないしそれはそれでいいんだけど、まずはほっといて自分の安全確保だ、生き物ですもの。

 

そうしたら「嬉しい!」「楽しい!」「(大好き!)」とかも浮き彫りになってきた。それが冒頭の「いい感じ」の意味です。

そっちの方を続けていこうじゃあないか、割合を増やしていこうじゃあないかと。

「芸術家は不幸な方がよい作品を作れる」説に反旗を翻したい私は、

そういう風にして幸せに生きていこうじゃあないかと思っている。

 

幸せって触れること。そーいう、どうしたらいいかね?私はこれがいい方法だったけど、あなたは?という話し合いをあなたとしたいだけ。でも話しするレベル以上に音楽や文章で届く可能性もあるし、とにかくあらゆる方法であらゆる角度であらゆる感性にいつか誰かに届くようにしているだけなんだと思う。

もし私のこの文章も音楽もあなたの苦しみをとる役割にはなれなかったとしても、世の中にたくさんいる素晴らしいミュージシャン、小説家、ジャーナリスト、漫画家、画家、ブロガー、ユーチューバー、アイドル、なんだろう語録なくて思いつかないけど、そういう発信してる人の中にはぴったりの人がいるかもしれないから、探したり、やる方は、そんな人に見つけてもらえるようにやり続けるだけ。居ないんだったら自分がなってもいい。

 

 

そのほかに何も思いつかない。

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