音楽と動物
最近ちょっと気づいたかもしれない。
私って、自分に自信がないと思ってたけれど、本当は誰より自分が可愛くて大好きなんじゃないかと。
自分のことが嫌いと思っていたけれど、本当は、他人の言葉ですぐに揺らいでしまう自分をなんとかしたかっただけなんじゃないかと。
自分が可愛くて大好きっていうのは、鏡をみながら「私ってなんて素晴らしいんだろう」とか、そういう類のものじゃなくって、生物レベルのっていうか、たとえば肉食動物に食べられそうになったときに全力を出して逃げられるとか、そういう、自分の命を守るために全力を尽くすことができる、とかそういう種類のものだと思う。
本心では自分が大事ってわかってるんだけど、自信ないとか嫌いとか思うのって、その大事な自分が、苦しいとか傷ついたりとかしたくないからなのではと。
「自分が大事な存在」なことは、もうわかっている。もし忘れてたなら、まず思い出さないといけないけど。
忘れてない限り、本当はもう十分、自分が大事なことなんてわかっている。
だから私が知りたいのは、「自分が大事な存在かどうか」についてじゃなくて、「その大事な自分が、他人の言葉や、周りの環境に振り回されないように、自分の感受性の扱い方」についてを知りたいんだと気づいた。
どう振舞えば、考え方も違う、感じ方も違う、でもなるべくわかりあいたい人たちの中で、大事な自分自身も感情も押し殺すことなく、いられますかと。
ただそれだけなのかも知れないと思った。
疲れてたら愚痴っぽくもなる。
それでも一晩でも二晩でもぐっすり寝ることができたら、やがて大事なことを思い出して、自分が生き延びる為の方法を探し始める。誰かに教えてもらったり、自分が探すことができたら誰かに教えたい。
ちなみに「大事な存在」という言葉は、「私って尊い存在でしょ!!」って誰か外側の人に向けたアピールでもなんでもなくて、自分の心の中で小さく、でも確かに感じることができる感覚としての実感だ。
そう、このブログに出てくることは「出てくるものだけ」のタイトルその通り、自分の中から「出てくるものだけ」を書く。
そしてそれは、たとえば「誰かにこんなことを言われて傷ついた」と書いたとして、『誰か』を責めるためのではなく、『こんなことを言われて傷ついた自分』が一体どう振舞ったら少しマシになったかの体験談です。
同じように感じた誰かの為になればいいと思うだけなんです。
2年前の自分が歌う。
「神様は自分の中 誰の中にも居ない」
1年前の自分が歌う。
「誰の声も聴くな 自分だけを聴いて」
私の感情よ生き延びろ。
そしてその感情に、何よりも強く共鳴するのが音楽なんです。