「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

コミュニケーション

人と話しをしているとき、その中でも特に『相手が私について話すとき』のこと。

その人が話をしている内容とか、言葉使いとかよりも、

「どんなつもりでその言葉を言っているか」、そして「(感情的に)どこを向いて言っているか」の方が気になる。

 

「あなたは素晴らしい」と言われたとして、本当に私のことを素晴らしいと思っていってくれているのか、『あなたを素晴らしいと誉めることができる自分が素晴らしい』もしくは『認めて欲しい』と思っているのか。

「お前なんかくたばれ」と言われたとして、本当に私にいなくなってほしいのか、『このどうにもならない気持ちをぶつけさせろ』と思っているのか。

 

それは私に言っているのか、言っている人が自分自身に言ってるのか。

純粋にそう思って言うのか、もしくは、言う事で何かをコントロールしたいのか。

ということの方が、

言葉やしゃべってる内容よりも気になってしまう。

 

もちろん人間は「黒か白か」だけではなくて、グレーの部分の方が大きいと思う。

 

だから、絶対どっちかに分かれるというよりも、

本当に私のことを素晴らしいと思ってくれつつ、私のことを誉められる自分のことも素晴らしいと思っているのかもしれないし、

本当に私のことが嫌いで、だからどうにもならない気持ちをぶつける対象にしたいと思っているのかもしれない。

純粋に思ってもいるし、でもあわよくばコントロールしたいと思っているかもしれない。

 

 

両方あって当たり前かもしれないし、私自身も常に、相手に対して本当にそう思う気持ちと、自分の意図をくみ取ってほしいという、両方の気持ちを持って発言していると思う。

 

それでもやっぱり、時間をかけて話すのであれば、変な駆け引きが必要な言葉どもよりも、

「あなたが好きです」「私はこう思います」「私は嬉しいです」「私は悲しいです」

という素直な言葉が聞きたい。人と人が一対一で話すのなら。

言葉尻をとらえて討論するのは、公の場だけでいい。

 

コントロールしようとしてるな、という意図が見えたり、自分自身のうっぷんをぶつけているんだな、と思うと、頭の温度が冷えていく。

でも言う方もおそらく、無意識でのことなのだとは思う。

 ※最初に書いた通り、『相手が私について話すとき』のことです。

 

このブログを書きながら、ああ私は怒っているんだなと思った。

なんか、「ラブ&ピースって言ってるし、怒りや悲しみは極力、消化して昇華してからじゃないと書いちゃダメだ。」とか思ってたけど、

自分の心の中をちゃんと「ラブ&ピース」にしておくには、怒りも悲しみもちゃんと出さなきゃダメだ。

最低限、言葉を整えて、「私は怒っています」と言わないとダメだ。

 

もしあなたが私の気持ちを無視して、あなたの都合が大部分を占める言葉をまるで私の責任かのように浴びせるなら、どんな整えられた言葉だとしても「私は悲しいです」。

 

ただ、あなたが一人の人間として1ミリでも心を寄せてくれる瞬間があるのなら、そのときは「私はとても嬉しいです」。

 

もちろん、わかってくれると信じている。