お金があってもmore money?
クラウドファンディングが成功しました。
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちがものすごいです。
いいアルバムを作ります、よろしくお願いします。
斉藤めい初のフルアルバムを「みんなに協力してもらって作りました」と言わせて作戦!の活動報告 - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
私はこの先を照らすことのできるアルバムを作りたい。
それが出来るのだ。これから何か悩むことがあったとしても、それは幸せな悩みだ。
お金はとても大事だ。
お金があったら、自分が良いと思ったことがためらわずに出来る。
お金だけを目的にして結果的に人の心を踏みにじるイメージを優先してしまうと「そんなもんいらない」と思ってしまうけど、それは極端なイメージだ。本当はシンプルに必要なのだ。
路上で寝ていて強姦されたことがあるというあの人が、また路上で寝ると言った日に「こんなの、はした金だから」と、
母親に暴言による虐待を受けて家に帰りたくないあの子に、「これで引っ越しなよ」と、
お金が渡せるような偽善者になりたいのだ私は。
私なんか、とずっと思っていた、今も少し思っている、そんな何もできない自信がなかった私と一緒に演奏してくれる、今は他の仕事もしてるけど、本当は音楽だけで充分生きていけるほど最高な音を出すミュージシャンや、同じく自信がなかった私を応援してくれるカメラマンとかそういう人たちに、「はい、これギャラ」って涼しい顔で渡せる自分になりたいんだよ。 それはそんなに悪いことか。
「お金持ちになるには、”自分なんかお金を受け取っちゃいけない”という心のブロックを外さなくてはいけない」
という、ネットの文章を見た。
これって「幸せ」も同じことなんじゃないかと思った。
どんなに幸せなことがやってきても、「自分がこんなに幸せになって良い訳がない」と思っていたら、その謙虚さについては愛すべきもので 少しずつでも受け取っていけたら変わっていくと思うけど、本当に本気で拒否をしてしまったとしたら、多分今までと同じ自分が続く。
良いことでも、変わることは怖い。
最高だったライブのあとにあの子が「こんなに幸せでいいのかな、この後何か悪いことが起こるんじゃないかな」と言った。
悪いことなど起こらないよ。あなたは毎日幸せだっていいんだよ、もう十分、それだけの思いを味わってきたし。と思ったから半分言った。
たとえ悪いことが起こっても、またすぐにいいことがやってくるよ。
お金も人様から受け取ることに無限の感謝は当然すれど、「受けとってはいけない気がする」と思うことはないんだ。
「お金のことだけに重きをおかないけど、差し出されたものはありがたく受け取る」というスタンスは別に矛盾しない。
こんなに私が必死なのは、「お金のことをちゃんと考えること」、これが私の苦手なジャンルだからだ。なんとなく近くにあるもの、だけどちゃんと向き合うのが苦手だった。コンプレックスですらあった。
前、自分の精神の話で、
「私は人の目を気にしすぎていて、ずーっと自分に自信がなかった。『自分はダメ人間だ』と思っていた。
だから自信が少しずつ持ててきた今は、人の目や言うことは無視してとにかく『私は最高だ!』『何も間違ってない!』と言わせてほしい。
人の助言は聞いた方がいいよ?とか言われても、いやそもそも、私は今まで散々それをやりすぎて辛かったんだから。散々聞いてきたから今は無視してるんだよ、って。
今後、″人の言うことも参考になることは取り入れて、いらないことはスルーできるような大変バランスの良い、確たる心を持った本物の自信を持った自分”になるんだとしても、急にはなれないから、今はその過程として、極端なくらいに『自分は最高だ!』と言わせてくれ。『自分はダメだ』の真逆を言い続けることで、ひとまずそこから抜け出させてくれ」
と、だいたいこんなようなことをブログに書いた(と思う)。
それと同じことがお金でも起きている。
扱うのが苦手すぎて、今までと逆で「お金お金!!!!」と今は思ってしまうけど、
本当はただ得意になりたい。お金をうまく扱うことに。自分の人生の中で、バランスよく付き合いたい。お金というものと。今はその過程だ。
クラウドファンディングでたくさんの人が「めいちゃん!応援してるよ!」って言いながらお金を支援してくれた。一人ひとりの気持ちがそこにあって、泉みたいに溢れ出してきてるみたいだった。本当に胸がいっぱいになった。
こんなに気持ちが入ったものを、私はちゃんと受け止めて、そして次の人に気持ちを込めて回したい。受け取って、回したいのだ。
だって私はやる前は、「クラウドファンディングってお金に余裕がある人がやってくれるんだろうなあ」と思っていた。もちろんそういう方も中にはいるだろうけど、大きく違った。
収入なんて関係なく、応援したいと思ってくれた人がやってくれたのだ。
支援してくれた友人が、金欠で、日雇いのバイトに行ったという話を聞いた。
「そんな中、なんで少なくない金額を支援してくれたのか」と聞くと、その子は
「友達の大事なときに、そんなみみっちいこと言ってらんない」って言った。
お金というものが、まだ何なのかよくわからない。
あのミュージシャンは「お金は紙だと答えるさ」と歌った。
紙だよね。
でもなぜか、まだ振り込まれてもいない、私が手にしたはずのお金には、溢れ出すほどの人の気持ちが込められている。
だから私はこのお金を、また別の誰かに、さらに自分の気持ちを込めて渡すことになるだろう。この事実だけはなんとなく実感している。
だから、「簡単にお金を受けとってんじゃねーよ。自分で働いて稼げよ」っていう、少し前の自分とかぶる誰かの視線がまだ少し気になったとしても、諦めたりはしないのだ。自分も周りも、もっと良くなることを。
受け取って、次に流す。
受け取る方法が、自分の身体を使うことでも、自分の精神を使うことでも、それは労働のはずだ。どんな方法が自分に合うかで、優劣ではない。詐欺とか、騙したりとか、渡した側があとになって傷つくような方法でない限りは、むしろ受け取れ、皆、もっと。
次に流すこと。それが大事だ、何に使うかが。きっと素晴らしい使い方がある。それについて考えを巡らせていたい。
*
苦手なはずだったお金のことについて、こんな風に考えられるようになるきっかけにも今回のことはなったのです。
それは数字で測れないほど、私にとって価値あることでした。
あらためて、本当にありがとうございます。
タイトルは私の好きな曲からです。
そして最近、一緒に埼玉ツアーをまわったずれずれ3ちゃんの「夜」という曲が頭から離れない。
「間違ってたってしょうがない 正しくないって何のこと? 息をする 勝手に体は生きてる」
※2/20一部加筆しました