「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

君にふにゃふにゃ

もう二度と歌えない気がしてたけど声が出た。

自分は死んでしまったのかと、死んでなくても随分長い時間深い水の底みたいなとこにいたなと思っていたけど、まだ二週間、いや一週間くらいしか経ってなかった。

やっぱりとてもせっかちみたい。

 

 

何度同じことを繰り返してもできないことができなくて、

「できない自分はダメなんじゃないか」「自分に甘いんじゃないか」と考えていたけど、

それでも出来ないなら、もう「やらない」と決める。

やらない。

逃げてるとか、甘えてるとか、精神論に置き換えてしまいたくない。ただ、効率が悪いから、やらない。

「超苦しいけど、今後の為になるかもしれないから・・・」みたいなことをやって、結局二週間くらい精神的にひきこもって何もできなくなるより、その二週間で苦がなくできることをやった方が効率いいでしょう、というシンプルな話し。

 

 

私は時々、「あなたは頑固で頭が固い」と言われることがある。

そうそう~昔からそうなのよ~と思う気持ちもあるし、でも、場面によっては誰よりもフニャフニャだしテキトーなんだけどな?という気持ちもある。

でも、もし本当に私の頭が実際に石みたいに固いとして、それがなんだっていうんだと思う。

もし、この固い頭を私以外の全人類の平均値くらいにまで柔らかくしたら、今より幸せになれることがたくさん待ってるのか、と考えたときに、特にそうでもないんじゃないかと思う。

だって頑固さは、強固に「絶対に曲げねー」と思ってる、自分の最も強い部分と繋がってる。その部分から生み出した歌もあった。強い部分があったから、死なないでいられた。許せた誰かがいた。

 

勿論、「こういうときはもっと柔軟に考えた方が楽になるかも」とか、ある一部分について変化するのはいいと思う。

でも、頑固なことはマイナスで、みんなと同じくらいまで柔らかくならないといろいろ上手くいかないんじゃないの?と、謎に強制してくる世間、いや、世間に影響された自分の声になど、「だからどうしたんですか」と返せばいい。

そこまでの強烈な自分の個性は、今まで自分や、少しの誰かを、確かに助けてきた部分のはずだ。これからより使いこなせるようになってきて、もっともっと強くてしなやかな、自分を形成する大事な部分になる予定で、誰かを守るものにもなりうるかも知れないのに、今周りに合わせて平均化する必要はないんじゃないかと思う。

そもそも、直せるものじゃない。

 

でも頑固すぎたら弱みにもなるかもしれないって?

 

いや本当に大事なのは、頑固なのか柔軟なのかとかじゃなくて、『判断力』なのだと思う。

「意志を絶対に曲げない方がいい」ときと、「柔軟に意見を取り入れた方がいい」とき。

一体どっちが正しいの?とか思うけど、どっちも正しいし、状況によって変わるし、人によっても変わる。ただそれだけのこと。本当に必要なのは『今の自分と今の状況では、どっちがより良い結果になるか』を的確に選ぶことが出来る、判断力だけなんだよな。

どちらかの言葉が正しいって訳ではない。「絶対に曲げない方がいい部分」のたった1センチ隣は、「変えた方がいい部分」かも知れない。

 

あとは、流行の風潮があるだけ。

 

例えを変えると、「とにかく自分の力以上にがむしゃらに頑張った方がいい」って言葉と、「自分のペースで自分を大事にした方がいい」って言葉があって、一体どっちが正しいの?とか思うけど、どっちも正しいし状況によって変わるし人によっても変わる以下同文!

 

それで今は、やっぱり頑張りすぎちゃって疲れてる人が多いから、「自分を大事にした方がいい」って言ってあげた方がいいという風向きが強いと思う。

「がむしゃらに頑張った方がいい」が、間違ってる訳では決してないし、ある特定の個人に向けてだったら励ましになるけど、世界に向けて「がむしゃらに頑張れ!」って叫ばれたら辛い人の方が多いのかも知れない。

『今はどっちなのか』を判断するということ。

 

そう。判断。判断をするだけなのだ。

 

だから私の『性質』まで変えてしまおうとしないで、その性質を持ったままで、その場そのときで自分が納得できる、良い判断ができたらいい。

「頑固ですね(あなたのそういうところがダメなのよね~的な)」という言葉は、正しいかも知れないけど、表面をなぞっているただの感想だ。

 

確かに頑固かも。でも誰より柔らかいところもあるよ。

そんな風に自分だけがわかっていることを、決して一つの言葉だけで決めつけてしまわないで、いろんな面から見つめて、最後には決めつけの言葉から手放して

うん

そうだね

これが私だわ

みたいに、断片的な感覚だけに戻してみるという作業をしてみてはいかがでしょうと自分に語りかけてみた。

 

 

 

 またすっごい感覚的なブログを書いてしまった。