「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

サバイバル

昨日できた新曲。歌っていて苦しい。心的に。

これは初めての気持ちで、どういうことなのだろう。

良いことなのか、悪いことなのか、この先変わっていくのか、わからないから、しばらく様子をみていようと思う。

 

 

なんだか最近私は人に対してサバサバしている。

前はもっと、目の前にいる人を1ミリも傷つけまいとして配慮、というより、むしろ常に警戒しながらしゃべっていた。(それでも口がすべって何やら言わなくてもいいことを頻繁に言ってしまっていたけど)

今だって、決して目の前の人をおろそかにしているわけではないけど、でも「私が180%気を付けて会話しないと傷ついてしまうだろうなんて、目の前の人はそんなに弱くないだろう」と思うようになったので、そんなに神経を張りつめなくてもいいや、と思うようになった。

 

どんなに気を付けていたって、傷つくときは傷つくし、傷つけてしまうときは傷つけてしまう。

伝えたいことを伝えるには、気をつかって話すことよりも、言葉を焦らず、丁寧に選ぶことのほうが大切だから、相手の気を損ねないようにすることよりも、その伝え方に神経を注いだ方がきっといい。

 

それに私はもともと残酷なところがあって、どんなに人として大好きな人だって、何かが噛み合わなければ「今はごめん」「ジジババになった頃にまた会おう」となるし、

どんなに人として「この人悪い人じゃないんだよな、むしろいい人なんだよな」ってわかってる人にだって、話しが長くてやたら時間を多くとられたり、実物とは程遠いその人の中の思い込みの”斉藤めい像”を作られてたりすると「もう無理です!グッバイ!!」ってなることができてしまうし。

 

どんなに気をつかってみたって、どうせ最後には嘘つけないんだから。

最初から普通でいいや、と思うようになりました。

年をとるというのはいいことです。あんなに無駄な(とまではいわないが、自分が疲弊するほどの)労力を使っていたことを、無駄な部分だけ切り離して、必要な部分を選ぶことができるようになるのだから。相手に無駄な期待をさせることを避け、自分の心の平和を守れるのだから。

 

それより大事なことなんてあるか。

(もちろん自分よりも相手が大事になる場面、深く傷ついた人を前にするときなどは例外だ)

 

誰かと比べたらこれでもまだまだネチネチしているかもしれないが、

自分基準でいいから自分史上最大にサバサバとしてくわ。