「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

深い緑の景色のなか

父方の祖母が息を引き取ってから20日が経った。

一緒に住んでいた訳ではなく、父母ほどには近い身内じゃないとはいえ、隣町に住み、2ヶ月に一度は会いに行っていた間柄なので、感傷に浸るくらいは良いでしょ、と自分を許すので祖母のことを書く。

 

十九で本家に嫁ぎ、姑問題で苦労し、3人の息子を産み、三十手前で夫を亡くし、糖尿病を患い、そして3人の息子のうち2人に先立たれた 祖母の人生は、こう書いてみるとそりゃあ大変なものだっただろうな、と想像はつく。

祖母本人はそれを思わせない、いたって穏やかな優しい人だった。そんな苦労は私は本人からは聞いたことなかったし、悲壮感を漂わせるようなことは決してなかった。

でも私は孫だから、孫の前で弱音を吐かなかったのかも知れないと思う。亡くなる数日前に、伯母さんの前では「私の人生はなんだったのかねえ」と病床で呟いていたというのだから。

どうかその言葉は、体も弱ったときの最後に出た本音だったとしても、ずっとそう思い続けてきたわけではないと、そして本当の最期は安らかなものであったと、願うしかない。生きている人間が自分が安心したいがためのこじつけだとしても、勝手にでもなんでも、そう思っている、勝手に思っている。

すぐ近くの隣町なのに、「埼玉ってこんなに田舎なのか」と思ってしまうほど林の中にあって、幼い頃から時間が変わっていないようでいて 手入れする人が少しずついなくなっていき同じではなくなっていく風景。

哀愁に浸ることを自分に許して全身で吸い込んだ。 変わらずずっとそこにいる。変わり続けて留まらない。どっちも自分の中にあるような気がした。

 

暑いのが好きで、寒さに比べたら耐性もある、と思っていた自分でも ああ疲れているなと思うくらいに暑くて、

でも汗をかいて手で拭うことができるのも、生きているからなんだと思えるから 夏はやっぱり好きです。

まだぐっと私の手の中にお小遣いをこっそり渡すおばあちゃんはまだ隣町に行けばいるんじゃないかと思う、よくある錯覚。だって受け取ることが孝行だと都合よく思っている自分はまだいるのだし。それでも笑顔を、友人の前では朗らかで家族の前では言葉少なかった優しさと不器用さ、 私が見ることのできたすべてを、忘れないよ。

 

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最近すごい人達のすごい表現をみて、ああ 年をとったとしても、もし何か成し遂げられたとしても、戦い続け考え続けなくては と思う一方で、ものすごく落ち込んだ。こんな表現ができる人がいるのだということで、自分の小ささに気付いてしまった。それでもいつだってやるしかない、でもいつか何かになるのだろうか? ということを、延々と考えている。

「あの人はすごいよ」「ああいう風にならなきゃ」

確かに自分の中に嫉妬の感情もあることは認めている、だけどそれをもう言われたくない。

それは自分の中の醜い感情との戦いというより、外側からの勝手な意見に辟易としているということより、「おう、素晴らしいね、わかってるぜ」と素直に思う気持ちが揺らいでしまうから、揺らぐことに疲れてしまうからだ、出来ればもう聞きたくない。みんながみんな同じことを言うなら、そもそも芸術なんて表現なんて必要ない。狭めないでくれ、誰かがやろうとしていることを、私がやろうとしていることを。

あの人が生命を燃やしてやっていることは当然素晴らしくても、周りが評論家になった途端に色褪せて見える、何かきれいな風景を携帯のカメラで下手くそに切り撮ってしまったときの気持ちに似ている かどうかはわからないけどとにかく 悲しくて悔しい気持ちになるのだよ、ひねくれているだけ、では済まない程度には。

やっぱりただの嫉妬と負けず嫌いかも知れない。 くそー。

 

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もうすぐ大阪に遠征に行きます。初遠征とかどうなるのだろう、例え受け入れられなくって滑って何にもならなかったとしても、大したことじゃない。でも期待はしてしまう、何か良いものに会えるんじゃないかと。

その前に石巻(ライブはしないけど・・・観る)、ああ、夏は忙しくていい!と去年も言っていた気がする、なぜか毎年そうなる。