「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

地面

良いことばかり起こりすぎても「調子に乗るなよ」って自分で自分に言い聞かせてるので、

いつもは面倒くさいばかりの強すぎる自制心、自意識過剰も、こんなときには役に立つもの。

 

地に足をつけたい。別に真面目になろうとか常識的になろうとかそんなもんじゃなくて、夢みたいなことにばかり捕らわれないで、自分の実力に沿ってるところに居たいんだよ、だってたまたまのラッキーが続いたとしても、自分が追い付いていなければ、そんなのだんだん消えてく幻でしかないだろ。

 

「誰とも『また仲良くしようね』なんて思わない。出会ったら、『こんにちは、さよなら』だ」

 

そう言った人がいました、でもその言葉に冷たさは感じない。鮮やかに通り過ぎる人たちの、そのすべてが愛おしい!と思ったとしても、絶対に留まらない。

「どうか私のことは思い出さずに、あなたの道をどうぞ」という感覚はおそらく、とても根源的なもので、寂しさや弱さ、 または現代的な何か道具の中に隠しているとしても、その感覚は過ぎ去ってしまうことはないと思う。

 

1か月前に書いて保存していた下書きがそのままだったので掘り起こして書いている文章。

時間が経って「なんでこんなこと思ってたんだろな」と思うこともあれば、

「わかってたんじゃんか…自分 じゃあ早くやれよ」と思うこともあって、

まさに今、後者なので、少し手を加えてあえてそのまま続きを更新してみてる。

 

すごく考え方が素晴らしいなと思う人がいて、その人が書いてる内容のマネを少しだけしてみるんだけど、

ちっとも素晴らしくならなくて、むしろ肩が凝ったりしちゃって、中途半端に自分を削るのは良くないことなんだと本当に思い知ったりする。

こういうのは、自分のやりかたで動き出してしばらくして忘れた頃に、 自然に「あ、影響受けてるな」と気付くくらいでちょうど良いんだ、言葉やなんかで受けた影響なんて、しょせん縁取りだけをなぞってみてるのと同じ事なんだよ。

 

実際に自分で試してみないとわかんない。

 

自分で試してみないとわからない。

自分は特にそういう人間で、そして 私はこういう人間だからどうや!って威張る気なんてまったくないどころか、「なんでこんなんなんだろうか」と思うことの方がずっと多く、人の言う事や周りの状況から 先回りして何かに気付いて颯爽と行動をしたりすることがどうも出来ないし、遠回りしてやっと気が付く、散々転びまくったあとで、という繰り返しだった。

「そっちはダメだよ」と散々優しい注意を受けても、自分で「あ、ほんとだ、ダメだった崖だったわ」と、見てみるまでは止まれない。

いや違う、これはちょっと恰好つけすぎた例えで、実際はもっと臆病かつ自意識過剰に

「そんなの誰も気にしないよ!」と散々言われても、「いや!みんな私の一挙一投足に注目してるはずなんだから!」と思い込んでいる、というレベルの恥ずかしい勘違いをしてたんだと思う、それを解くのに時間を消費してきた。

対 人に関しても、「そいつは悪い奴だよ」と言われても「でも良いところもあるはず(私を必要としてくれているし)」と、客観的に見たら『なんであんなのにひっかかるかな?』と、DVとかネットワークビジネスだとかによくある心理状態を全然笑えない状況に、自分も居たのかも知れない。

 

そうして、そうやってきたのに、まだ、「色々学んで、だいたいを理解をしました。大人になりました」なんて言えない。自分なんてそんなに信用できないんだよ未だに。

遠回りこそ近道で、いろんなものを見てきた分いろんなことを吸収できただろうって、きっとそう言ってくれる優しい人はいるだろうし、それもそうだなと自分を振い立たせることはできる。でも未だに、自分の判断には自信がないことが多く、的確な判断をその都度できるなら羨ましい、その能力を私にくれと思ってしまう。

何を基準に、何を信頼したらいいか、何を軸に置いたらいいか、本音を言うとブレてブレてブレまくりだ。いや、「この人は絶対信じられる」「このことだけは絶対だ」というものは、あるんだよ、私だって、確かにあるんだよ。

でも難しいのはその中間のもの。黒か白、それ以外をバッサリ切り捨てることも、取捨選択することも、本当に突きつけられると苦しくなる位だ。正直信頼できる誰かに選んでほしいと思うくらいに。

 

誰もが「自分を持ってる」だなんて、思わないでよ。誰かの判断に頼ってばかり、一人で生きてくならせめて、普通にやるだけで精一杯よ。なるべく最良の選択を、その場その場で選び取っていくだけ。

”絶対的なものがここにあります”も、”自分はこうです”なんていうものはなく、

それを作っている途中の自分、何者でもなく、少しは苦い思いをしたとしても、最後には何にも従わない自分が今ここに居て 

流されるでなく流れ続けているということだけに意識を向けるのです。それが宙に浮いていて地面らしくないけど私の地面です。

 

頭が宇宙になってきたので、このあたりで言語化おわり。