「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

たからもの

"何かを言おうとすると「じゃあお前はどうなの?」と自分に問いかけてしまって何も言えなくなる"という病にかかっているのですが、今日はリハビリのつもりで思ったことをそのまま書きます。書くのだ。とにかく。

 

苦しい。※私の苦しさなんてものは、次良いことがあればあっという間になくなってしまうような気楽なものですが とりあえず

今苦しい。

そういうときは、まるで”当たり前のことでしょう?”というように澄んだあの人の眼を思い出すのだけど、それでもまだ、苦しいのです。

 

『有名』という言葉をよく聞くようになりました。

それなりにですが、人前に立って何かやるようになったので、必然的に「有名なあの人と関わりがあった」とか「あの人は有名だ」とか…。よく聞くようになりました。

誤解しないで頂きたいのは、私も大概ミーハー野郎です。ええ!有名なあの人と!?とかよく言いますし 憧れの人に会えたら嬉しくてハートマークつけて図々しく寄っていきます。

 

だから全部が全部、ではないのです、ただ思うのです。

『有名』な人って、『有名なこと』がスゴイのではなくて、『有名になるほどに、何かを純粋に突き進めた』その事実こそが凄いのです。 (そうじゃなくて何がなんでもどんな手段を使っても名を馳せるぜ、という方のことは分からないので今は省きます。) 少なくとも純粋に、ミュージシャンだとか芸術家をリスペクトする、というのは、その事実について少しでも理解し、接するということではないでしょうか。

だからその『突き詰めた何か』のことを分かろうとするでもなく、ただ”輝く名前”に吸い寄せられて、自己中心的な自分の為の何かにそれを利用しようとしたり、神格化しすぎたりすることに、「その人の作品を見ていながら、なぜ」という気持ちになってしまいます。

仕方がないのかも知れませんね。それが私たち一般市民というものなのかも知れないです。私が憤ったって仕方がないけれど、今日の朝はそのことで体が重たくて仕方ないのでした。

 

あ、もう一つの病が発症してきた。

書き終えてしまうと、とたんにどうでも良くなって、人への公開を躊躇ってしまう病。でも今日は垂れ流すって決めたんですよ。

 

 

 

あの子が悩んでいる話を聞いて、私は何も答えられなかった。

いつだってそう、誰かの為になることを答えられたことなんてないんです。

でもちょっとだけ分かる気がするから、適当なことを答えたくなかったというのもあるんです。そして言いたかったんです、

「あなたのことをとやかく言う人や 決めつける人や 理解者のフリをして自分の手中に収めたいだけのやつもいるだろう。本当の善意さえも、あなたを傷つけることもあるだろう。だけど私はあなたを美しいと思う。こうだ、と決めつけるわけでなく、何か見返りを求めるわけでもなくて、ただただ事実として 美しいと思ったよ」と言いたかった。恥ずかしくてそんなこと言えないのだけど。

そのままで居て欲しい、なんて身勝手だ。本人は抜け出したくてもがいている。だけど少なくとも他人であって少しだけ近い私が思うのは、やっぱりそのままでいいんだよ、ということなのでした。

 

ああ。

上と下の話は、繋がっていないようで繋がっています。

人のことを気にして気にして気にして疲れたら、自分に戻りたい。没頭したいんですやっぱり。さようなら、だけどあなたの言葉はいつでも、私の宝物です。