追い風 向かい風
少しご無沙汰してしまいました。
引っ越しによりしばらくインターネットが使えず、スマホの小さい画面では(私の携帯はところどころ押せない個所があったりするもので)とても更新できず、って、そんなこちらの物理的な事情はともかくですね。お久しぶりです。
風通しのいい場所でこの文章を書いています。
心の風通しも少し良くなってきたところです。
放っておくと、自分はすぐ、理想の自分と今の自分との差に愕然として、一歩一歩でも少しずつ前に進んでいるんだよ、いくんだよ、ということを、すぐに忘れて 自分を責め始めてしまうタチのようで、いろんな人に指摘されてだんだん気づいてきました。どうやらだいぶせっかちで欲張りのようなんです。
全部のことは自分に責任があって、自分でどうにかしてやっていかなきゃいけないんだ、という思いも強いようで、だから助けてくれる人がいても「いや、自分でやらねば」と遠慮してしまったり、人に迷惑をかけるくらいなら自分でなんとかするんだ、とも思っているようです。
そのわりには出来ないことが多く、出来ないことを出来ないことで自分を責めてみては、頭がショックでフリーズして固まってしまい、それもはた目から見たら「何もしてないじゃん」と思われてるのかも知れないなとか、また自分責め、自分責めが好きなのか?という感じになる位には自分を責めてみては、「やっぱり自分はダメなんだ」とどこか安心しています。
ここまで書いたこんなことは、ほんとは誰に話すようなことでもない、ただの自己分析です。
そんな自分がそんな自分をどうにかするために、今、誰かに言ってしまいたいことは、「もっと頼りにしちゃってもいいですか?」ということなんです。大変おこがましいかも知れないですけど。
私多分、思ってるよりも遠慮してて(たまにすごい図々しいけど)、思ってるよりももっと誰かに頼りたい、と思ってるんだと思います。
頼りたいってそれは、何から何まであなたが私をサポートしてください、なんてことでは決してなくって、「これだけお願いしたいんだけど、どうですか?」と聞くだけ聞かせてほしい、ということなんです。返事がノーだってそれはそれでいいんです。ノーであること、イコール、”聞くこと自体が迷惑だった”とは考えたりせずに、とりあえずあなたに聞いてみてもいいもんですか、聞いてみる勇気さえ今まではなかったもので。ということです。
いつも常日頃、自分が自分で歌う歌に関しては「みんなどうせ分からないだろうから」、という不信感よりも「もしかしたら、いやきっと伝わるかも知れない」という信頼だけで全自分を解放しにかかろう、と思っているけれど、
相手の領域に少しでも踏み入れるようなことに関しては、とても臆病になってしまっていました。なので誰か目の前にいる人の優しさを、もうそろそろ、ちゃんと信頼したい。
そういうことなんです。何が言いたいかって、
6月17日、高円寺喜楽でのワンマンライブみんな来てくださいっていうことなんです。
結局宣伝かよって、そうなんです宣伝なんです。それが上手くできなかったので、これからはちゃんとあなたに「来てください!(良かったら)」って言いたいんですよ。
ずっと一緒にライブがやりたくて、でも忙しいだろうから…って遠慮したけどようやく一緒にできることになった人と、一緒にバンドとしてもやります。
変化することは、たとえ良い方に変化することでも恐ろしい。
そうやって出来てるみたいなんです、人間。
それでも、それでも恐怖ごと受け入れて、ごめん、私はずっと落ち込んでなきゃいけないわけじゃなくて、楽しくやれる方に向かっていきます、楽しくやりたいので。と思ってやっていきます。 またすぐに会いましょうね