「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

進化している

私がもし、「誰に何を言われようと、自分はいつだって最高だ!と思うことに決めました」と言ったときに、

『本当にそれでいいの?』『人の意見は聞いた方がいいんじゃない?』『そんなんじゃ、もし悪いとこがあっても反省もできず、成長できなくなっちゃうかも知れないよ?』と、もし言われたとして、

確かにそれも一理ある、と思うかも知れない。

 

だけど、例えば、生まれたときからずっと「自分は最高だから、人の意見は聞きません!」と思ってやってきて、人を傷つけても、何しても構わないと思ってたり、『こうすればもっとよくなるよ』って意見も全部ムシしてきた人がいるとして。

その人が「あれ、自分は今のままじゃダメかも」と気づくときに、上のような『誰かの意見に耳を傾けること』は確かに必要かも知れないんだけど。

 

じゃあ本当に私にも必要なのかって考えると。

私はこれまで、

中学になった頃から急に過剰に人の目が気になり始め、

自分が、机に座って教科書を開くとか普通の動作をしただけでも後ろの席の人に『なんだアイツ』って思われるんじゃないかとか、誰かが笑っていたら自分の悪口で盛り上がってるんじゃないかと思ったりとか、

〇〇が出来ないなんて自分はなんてクズな人間なんだと思ったりとか、

人に迷惑かけたと思ったら「自分は死んだほうがいい人間なんじゃないか」と思ったり、

友達に悪いことがあったら、全然無関係のことでももしかしたら自分のせいでそうなったのかも知れないと思ったりとか、

亡くなってしまった人に、私が助けられなかったから、心の負担になったから死んでしまったのだと思ったりしていたから、

誰かに何かをちょっと否定されただけでも「ああやっぱり私は存在しない方がいいんだ」と思ってしまったり、していた。

 

そういう、過剰なまでの負の自意識を、もう嫌っていうほど考えてきたので、勝手にではあれ、なぜか背負いこんでしまってきていたので、人から見たらちょっとした出来事であってもとても辛かった。

だけど、それは妄想(気にしすぎ)であったんだろうと、やっと随分大人になってからようやく気付けたのでして。

世の中にはもっとつらい人もいるかも知れないけど、ごめん私の小さな世界の中では、やっぱり私にとってはそれはとても苦しいことだった。そして私はもう十分に苦しんだと思う。誰かと比べるではなく、ただ事実としてそう思う。

 

それでやっと取り戻しつつあるのでして。

「いや、私が思うほど、私はダメな奴でも不幸を呼ぶ人間でもなかったぞ」と。

やっと自分を取り戻しつつあるのです。

「私意外に良いところもあるぞ」と。

 

他人の言葉や、他人を、(必要ないところまで)考えすぎて、苦しんだ自分が、

今「いや、自分は最高なんだから、人のことは気にしない!」と思うのは、

世界と自分をまっとうに(思春期のように偏った見方ではなく)見るための、通過点なのです。

そのあとには多分、「自分は存在していていい人間だ」という、静かな手ごたえを、誰にアピールするでもなく感じることのできる時間が訪れるかもしれない。

 

A(自分への疑い)→B(自分への自信)→C(その人なりの結論)が、

B(自分への自信)→A(自分への疑い)→C(その人なりの結論)だろうが、

順番はどっちだって、そんなことはどーーでもいいんです。

C(その人なりの結論)に行きつけさえすれば。

 

だから今までずっと自分に疑いなく生きてきた人への『他人からの意見・忠告』と、

自分のことをずっーと疑ってかかってきて、些細な他人の言葉ですら自分への批判・この世界に存在してはいけない証明のように感じ取って「自分のことは自分自身が一番疑って、傷つけてきたわ!」という人への『他人からの意見・忠告』というのは、

表面上は同じに見えるけど、全然違うものだと思う。

十分傷ついたわ!と思ったら、もう”自ら心から受け入れたいと思う言葉”以外は、無視していいよ。

 

 

傲慢だと思いますか。

でも多分(自分なりの結論)に行きつくには、とても勇気が必要だよ。

変われない、変わる前の誰かは「アイツは変わっちまった」「こっちの気持ちなんて、わからなくなってしまったんだ」ってきっと言うだろう。

その気持ちもわかる気がする。私だって言ってた。笑

そのときに「私、やっぱり、自分で自分を疑って苦しんでる、今までのままの自分の方がいいのかも…苦しんでる人の気持ちがわかる方がいい」って、戻りそうにもなるから。

 

最後には自分で自分を救い出すしかない。

誰かはヒントは教えてくれるけど、まったく同じ道を歩んだ人なんかいないから、自分だけのオリジナルの”自分救出方法”を自分で考えるしかない。

ほんとしんどいよね。誰か助けてくれよ、誰かちゃちゃっと、全部救い出せる魔法の言葉をかけてくれよって思う。

根気強く頑張って、這い上がれる力がある人ばっかりじゃねーよ、って。

 

たくさんの人が、たくさんの全部違う思いを抱えているから、私にはとてもわからない。全部はとてもわからない。どんなになるべく多く分かりたくても、全部はとても把握できないかも知れない。せいぜい、自分の歩んだ道+それに近いもの、くらいしか、分かれないのかも知れない。

 

ただ私が今思うのは、書いてきたことと矛盾するようだけど、自分は変わらないってこと。

これからも私は無駄に見えるようなことで悩み続けるだろうし、他人の些細な言葉や仕草をやっぱり気にしてしまうだろう。それは変わらないと思う、ただ、そのとらえ方が変わっただけだ。

「私が存在しちゃいけない人間だから、あの人は冷たくしたんだ」、から、「あの人冷たかったけど気分でも悪かったのかな?」って、その解釈の仕方が変わっただけ。

 

だから変わらないまま変われるし、別の何者かになんなくていいから、もしちょっと「しんどいな」っていうのを1ミリで減らしたいなら、変わらないで変わる方向を1ミクロンずつでも探せばいいと思った。

ヒントは、本とか、音楽とか、ラジオとか、ブログとか、多分いろんなところに耳をすませば、多分ある。

 

偉そうなことはまだ、何も言えません。

けど、誰も別に 誰かの不幸を願っちゃいないよって思う、いつかの自分にも思う。

やっぱり私は、幸せな人が多い方がいいと、シンプルながら思う。

だからまずは自分で自分を救ってみせようと思っている。