波
睡眠大好きなのに眠れないので文章を書こう。
なんで私たちは揺れ動くかについて。
「めちゃめちゃ絶好調だ!!」と思っていたと思ったら、すぐ次の日とか、下手したら1時間後とかに「自分はやっぱりなんてダメなんだろう…」とか思ってしまう。
ずっと好調ならいいのにさ。
晴れの日もあれば雨の日もあるよと言われても、やっぱり下がっているときがつらいんだよ。下がっている最中は、また上昇するなんて信じられなくて、絶望してしまう。
いや上昇すると頭ではわかってるような気がするんだけど、感覚的にはまったく忘れてしまうと言ってもいい。夏の暑い日に、冬には自分がコートを着てるなんて考えられないように、頭では知ってるんだけど身体的には「すっかり忘れてる」ように、その季節に完全に適応してしまう。
人によって、その気分の『波』のふり幅はそれぞれだろうけど、そうやって忘れてしまうから、一番下の絶望にいるときは、たとえ「いいときがくるさ」と言われても、辛い。
「そのうち夏が来るさ」と言われても、冬に半袖じゃ寒くてとてもやり過ごせないよ!!というのと同じくらい、耐え難い。
話は少し科学的な方向に変わるけども、最近聞いた話で一番興味深かったのが、「原子は波である」ということ。
人間は心臓とか肝臓とか腎臓とかいろんな器官からできていて、それらは全て分子で成り立っていて、その分子よりさらに小さいのが原子、っていう一番小さな粒みたいなものでできていると。ここら辺は中学で習ったけどこれ以上はボロが出るからあまり言いたくない!(笑)
ともかく人間の最小単位が原子だと。
その原子が、常に揺れ動いてる『波』なんだと。なんで波なのかはよくわかってないらしいけど(!)、とにかく波なんだって。
へー!と思って、じゃあ、その『波』である『原子』から出来てる人間にも、波があって当たり前じゃないか!!ということを思いまして。ここからは完全に私の持論なんですけど。
だって人間を構成する物質自体が揺れてる『波』なんだもん。人間も揺れてて、『波』があって当たり前じゃない?と。
上がり下がりなんて感情論だ、精神でなんとかできる!!!とかじゃないんだよ、だってもともとが『波』なんだもん。揺れ動くのが、科学から見ても、超、自然なことだよと。
問題はその波の幅が大きすぎて社会生活を送るのが難しかったりとか、下がったときに上昇するのを信じられなくて死んじゃうこととかなんだ、きっと。
わあ、世の中にたくさんいる人々のすべての人のパターンを私には把握しきれない。
ともかく、できることは、「波があるんだな」と自覚することと、「下がったときに、絶望しすぎないようにすること」かもしれない。
冬が来るとわかっていれば暖かい服を買い込んで、いざ寒くなったらコタツにこもってしまうのも一つの手かもしれない(例えです)。
いや、気づいている人からしたら、何を今更!というお話かも知れませんよ。
でも私も、「気分には波があるよね~」とは知っていても、どこかそれを悪いものと思っていたというか。波を、意志の力で鎮めなければとか思っていた。けれど、波を止めるのは無理と、まずは気づいただけでも違ったというか。だって私たちは原子レベルで波だから!(強調)
そっか~仕方ないねって気づいたら次は、来るべき絶望の時間にそなえて、絶望の時間がきたらやることを決めておく。
ハーゲンダッツを食べることを自分に許すとか、ひたすら寝るとか。
なんとなく難しいのもわかる。なんでか絶望してるときほど「私なんて苦しめばいいよ」とか思って、自分をより責めてみたり、あえて雨の中にたたずんでみたりしちゃう。
だけどもしそれに飽きてきたら、「別にそんなに苦しまなくてよくね?自分」と思えてきたら、どうぞどうぞ、自分を甘やかす。
そして最終的にはその波自体を、最小値マイナス100、最大値50くらいだったのを、
最小値0、最大値100とかに、上方修正していくこと。
大げさなことでなく、この一連の流れを私は希望と呼んでいます。
波という、私たちと原子レベルで切り離せない現象とともに、うまくやっていく方法をなんとか探そうと、死にそうになりながらも必死に向き合っている人のことも、希望と呼んでいます。
今日の話は以上です。
※「波」による、他の人への影響(気分の上下で身近な人を混乱させてしまう、とか人を傷つけてしまう、とか)は、語ることがたくさんあると思うのですが、今日の文章はあくまで「自分が自分と向き合うときのこと」で書きました。