サマータイム
夏は大好きな季節です。
でも「暑いのは苦手、冬の方がいい」って思う人が周りにチラホラいたから、「夏、やっほーーーーー!!!」となるのになんだか悪い気がしてしまって、なれずにいた。
でもその遠慮って何かいいことを生むの?生まないんだったら、思う存分、今を喜べば?と思う自分もいて、「それもそうだな。暑いの苦手な人はきっと、冬よっしゃこーーい!!!!ってなってるのかもしれないし。夏やっほーーーーーーー!!!!!」と思ってる近頃です。
その遠慮、本当はいらないのかもね。っていうものが他にもあるのかな。
近頃あらためて思うのは、そして誤解をまったく恐れずに言うのならば、私は周りにいる人たちが好きすぎます。
「ピースフルな私、すごいでしょ?」ってことが言いたいわけじゃなくて、悩みがありまして、それがゆえに、適切な距離感というものをずっとつかめずにいます。
「好きなわりには返信返さないんかい!」とか、「そんなの感じとれないけど!」とかってまあおっしゃりたいことは重々承知してるつもりなんですけれども、
今わかりやすく周りにいる人、バンドメンバーとか、お客さんとか、同居人とか、ミュージシャンの友人とか、ミュージシャン関係ない友人とか、会社の人とか、出かけた先で出会った人々とか、なんか知らんけどこのあまり更新しないブログをチェックしてくれてる顔のみえない人たちだとか、画面の向こうの人、ニュースの向こうの人だとか。(それも″自分の周り”に含めるんかい、と思われるかもですが、自分の目に入ったものは自分の身の回りのことだと思うんです)
でも皆、それぞれの時間と生活があるでしょう。
「絶対この日、この時間、一緒にいて!」なんて言えないし、どこまでその人の時間に侵入していいのか、どのくらい差し出していいのか、どのくらい受け取っていいのか、
何もわからないんです。
もちろん私も自身の小さな生活と、身体を守りながらではあるのですが。
私は「東北が肌に合う」と前から申してますけどそれは、「愛してるよ!」「おう、こちらも愛してるよ!」っていうような、まあ実際はこんな直接的ではないにしろ、そんなような わかりやすいやりとりができる人が多い気がするからです。
それでいて、「あ、時間だ!じゃ、また!」みたいな潔さがあって、別れ際も非常にわかりやすく、優柔不断な自分でも「ああそっか。自分の生活に帰ってくのね、うん、またねー」みたいに切り替えられるのです。とてもシンプルで居られるのです。
東京の人たちもやはり愛しているのです。
でもそれはやっぱり人数の多さなのでしょうか、夜の長さなのでしょうか、
「こう言ってくれてるけど、気を遣ってくれてるのかもしれないし、どのくらい甘えていいのかわからない」
「居ようと思えばずっとここにいられるけど、それは自分にとっても相手にとっても良いことなのかわかんない」ことが多いんです。
だから「この人のこと大好きだしここに居て欲しいけど、これ以上引き留めたらこのあと大変だろうしな」とか、「この人は今ここにいてこれをしてるけど、それはこういう流れがあったなのからで、また来てね、っていうのはこの人の流れを止めてしまうかも知れないな」とかって、なんだか様々な事情が複雑に絡み合っていて、それを考えてしまって、とても難しいんです。
どこまで我儘を言っていいのか。いくらでも言ってしまって、あとは相手にゆだねればいいのか。でも相手が優しい人だったら、無理をさせてしまうんじゃないか、と思ってしまいます。
私にとってとても難しいです。
この人とは、このくらいの距離感でいいよ、ってちょうどいいバランスを保つことが。
人の多い東京でも、東京ほどは人の多くない地方でも、そこにいる人間一人っていうのはそんなに変わらないと思います。
それでも、関わり方はやっぱり変わってくる。
顔色を、「空気」とか呼ばれるものを読み合いながら、少なからずやらないといけないから。
心のなかはずっと、「愛してる!」「じゃ、また!次会うまで元気で。」の繰り返しです。
そんな自分に「そんな感性豊かな自分きどりかよ、だったら夢物語を言ってないで、自分に出来ることを何か一つでもやんなさいよ」って常に言い聞かせてもいて、結構心のなかでハードな修行をしてるな、とたまに自覚もします。
ここ最近で2マンライブもしていて、バンドメンバーや、ミュージシャンもそうだし、
もうあのね、小さなライブハウスに来てくれるお客さんとか本当に有難さが有り余って好きすぎて仕方ない。優しいんだと思うみんなほんとに優しいんだと思う。だから斉藤の歌とか聴きにきちゃうんだよ。変わってるよ。でもほんとはみんな変わってるんだよ。
お客さんが男性だったら「愛してます!」とか言ったらなんか本意じゃないことが伝わってしまいそうだし、そんなん「ありがとですー。またぜひー!」位しか言えないですよ、言えないだけですよ。そこんとこわかってますか。
バンドメンバーとか、10個以上上のオニーサンと隠れドSなオネーサンですけど、なんで私と、こんな5年前にバンド組もうとしてまっっっったく何もかも上手くいかなくてストレスで救急車に乗りまでした私と、バンドやってくれてるんスか?!!?!?!?!みたいな気持ちでいっぱいだし、上記のように「甘えていいよと言われても、素直に甘えられませんよ」な私が、唯一「まあいいか我儘いおう」と思える人たちで、でも仲間も仲間で好きすぎたら内輪ノリになってしまって来づらい人がいるだろうから、「私そんな依存してませんよ」スタンスを保とうとするので精一杯ですし。
画面の向こうの人たちよ、なんでそんなに一生懸命生きてるの?!
何かを良くしようと勇敢な人もいるし、愚痴を書き連ねてる人もいる、淡々としながらやることやってる人もいる。ニュースに流れてくる人、何かに巻き込まれた人も。それぞれの生活、それぞれの思い、とてもとても理解し尽くせない。
あなたが当たり前にやっていることが、私にはとてもできない、どうして出来るの?凄すぎるよ。といつも思っています。
あーーーーーーー!!!めんどくさい自分よふっとばせー!!!!!!!!!
結局は愛しい人たちに、何ができるかって言ったら、自分を生かすことをしながら、「ああ、最高だ」って思える瞬間を、それが楽しさでも、達成感でも、なんでもいい、切なさでもいいから、そう思える瞬間を少しずつ増やして、
「あなたのおかげで私は私で居られます」とお礼を言うことしかないという、シンプルな答えがいつもあります。
どうかそれを後押ししてくれ、私の大好きな、夏という季節よ。
深刻にならないで、いつかの別れの切なさはいつもあれども、力は地面から湧いてくる。
暑くなり過ぎたら、砂浜から飛び込ませて、水平線を眺めさせてくれ。
そういうことを暑苦しいくらいに思っています。