才能はなくなりました
なるべく有言実行を貫くようにしていた。
というか誰かを巻き込んだり、先に宣言したり、逃れられない理由を強引に作っては
「口だけのやつだと思われたくない」「思われたらきっと離れていかれてしまう」という恐怖で、行動するのが怖いという別の恐怖を自分を上書きしていた。
本当はそんなこと恐怖することはなかったんだけど。
皆やさしいし、そんなに人のいう事を気にしてないかも知れないし、そのとき自分が本当に思っていたことなら、そんな固くならずに言葉にしたらいいんじゃないかと今なら思うけども。
でも、最近はやりたいと言ったことあんまり出来てないな、と思うとやはり不安になってくる。
やることなすこと、以前の自分を越えなくてはいけないと心の底では思ってるかもしれない。
ただ私は思う。
私にもし才能というものがあるなら、それは大天才という意味ではないけど、曲がりなりにも今まで作ることのできた作品・何百と歌ってきたライブに表れているのだろう。
そしてその才能は枯れたと思う。
同じことをなぞるとするなら明らかに以前より、キレも、勢いも、新鮮さも、もうない。悲しいとかむなしいとか考えるまでもない事実だと思う。
だけど、だとしたら、これからは才能ではないものでやっていくのだ。
才能ではないものとは、
誰かを思う"今"の自分、世界を見渡して何をどう思うか感じるか"今"の自分。
(自分なりの才能があった頃を含めた)今まで過ごした時間をひっくるめて出来た今の自分。
そうだ元からあったものなどもう無い。
今ここからまた始めるしかないし、始まるのだ。
だからもしかしたら、今までの自分をなぞっていたら起こりえなかったような失敗も起こるだろう。
だけど、想像もしていなかった出来事が起こることもあるかもしれない。
リセットとは少し違う。
今までの自分も自分の中にはあるから。
あくまでその延長線上で、それでも"才能"を使わないやり方、というのがあると思う。
それに切り替わっていくのだと思う。
なぜなら才能はもう無いのだから、使うも何も電池切れ。
使わなくても自分を燃やしていける自分になる。
その火は才能とは違ってなくなることはない。
消えてしまったとしてもまた点けることができる。
消えても消えても何度消えるたびにもまた灯していけるだろうか、という事が、有言実行なんかよりもよっぽど大事かもしれない。
なんだかそんなことを思った。