どうでもいい自分の話
人の気持ちが人一倍分からなくて困っています。
ややこしいことに、人の話を聞くことは好きだったり、人と上手くやっていきたいという気持ちだけはあってその態度のせいで、なんとなく人の気持ちが分かる柔軟な人間に見えてしまうらしい。(驕りかもしれませんが)
本当は誰よりも自分の我を通したいし、他人の気持ちは全然理解できていない、だからその時その時で、誰かの期待に応えるような行動はできない。
期待に沿えなくてごめんなさいと思う出来事は、昔からわりとありました。
もちろん誰しも、自分以外の人間の感情をカンペキに分かるなんてできないと思うんですけど。
ただ、自分は印象と実際のギャップが大きいんだろうなと
自己を振り返ったりすると思い至ります。
それでもって自らも、思い込みの激しさと、誰かに分かってほしい欲も強かったりして、私には期待しないで、と思ってるくせに、他の誰かにはすごく期待をしてしまう。
あの人ならわかってくれるはず。こうしてくれるはず。私が喜ぶ、こんなことをしてくれるはず。
みんなやさしい。
でもみんな誰一人、私の思う通りになんてならない。
それでいいと思っている。
私の思う通りでなんて居ないで、私の知らないあなたでいてと思う。
でもそう思えたのは、本当に本当に最近のことです。
分かってくれているはずと誰かに思いを寄せるとき、恍惚としてその人と一体になったような、安寧にたどり着いたような心地よさでいられる。
でも、そんな分かってくれてるはずと思っていた誰かが、全然同じ気持ちじゃなかったとき、絶望して、こんな関係は、こんな世界は滅んでしまえと思ったとして。
それでもその先に「私とあなたは全然一体じゃないけど、それでも分かろうとするよ」という気持ちになれたとしたら、それが本当の信頼関係なんだろうなと思う。
私も、たとえあなたと切り離されようと、一人で立っていられるようでいたい。
その頃あなたも、別の場所で世界の立ち方を知ったとしたら、それが同じだっていうことだろう。
そしたらまた、あなたとも会えると思っていたい。
東北LOVE
— 斉藤めい (@monbiri) 2023年3月11日
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