本日だけは
そこそこ充実した日々を送ってるように思っていたら、「忘れてるぞ、お前」と何か大事なことを思い出す。
忘れているわけじゃないんだ、「待って、今は自分のことで手一杯だから、そのことはちょっと待ってて」と思う、それは間違いじゃない。でも、自分はこんなもんだったっけ、って焦って取り戻そうとする。
充実した日々を、着実に過ごせているような気もする。
でも、家族からの電話、友達の報せ、日々どうしようもないものと戦う人達の言葉を、
私は胸に留めないと。それを留めない事には、今やっていることさえ、まったく意味のないこと。
充実した、私!なんて思いたいがために、やっているわけじゃない。
重苦しいと言われたとしてもいい、生きている誰かの、切実な思いを私はみつけて形にしたいのだ。重苦しいから苦しいを取って、重くていい、重くていいから美しいものを大事にすることが、多分私の役割だ。
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こんなことは考えないようにしよう、と思ってはいても、どうしても慣れた方に考えが流されてしまう。
私はどこかで、「サラリーマンとかふつうに、まっとうに働いている人には、私の歌なんて響かないんだろうな」なんて思ってた。似た者同士にしか通じないでしょうね、と。
でも「心に来るものがありました」と言ってくれた人がいた、スーツ姿仕事帰りのサラリーマン。「俺も何かしなきゃ」と。
何がまっとうで何がまともじゃないかなんて、決められてない、何も区切られてることなんてない。私からしたらピシッとスーツを着て週5日時間守って朝から夜まで働いて、なんて人は、なんてまともなんだろう、私はもう、そうはなれないんだろうな、といつのまにか思ってしまっていたけど、それは環境の違いであって、見えない心の中は渦巻いているのだと、それは人それぞれだし、スーツに包まれているかどうかは関係がない、と。
考えを変えるのは力がいる、疲れる。今までのやり方で考えて、そのままやってた方がよっぽど楽だけど、私は自分の考えをまず変えたい。
「こういう人は、こうだろう」と勝手に考えてしまっていたことを、「こうかも知れないけど、でも」信じたいんです。
信じる、だとか、変える、だとか、闘うとかまっとうだとか、重い言葉は使いたくなくてあえてあまり使わないようにしてたけど、
なんだか今日だけは それを使ってでも、言いたい事があった気がしたので。
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ぼやいてるだけ↓
悲しい思いをしているであろう友人が居て、でもきっといつかは立ち直っていく強さがあるんだろうな、でもやっぱりそれでも、今は辛いだろうなと思って、「いつでも近くに行きます」と伝えることは出来ても、それ以上は何もできない。でも出来ないからこそ、出来ることがある。今は言葉で元気づけたところで無力、無力。傍には私よりもっと近しい人がいて今は彼女を励ましているだろう。それでもね、今は毎日一緒にいるわけでもない無力無力な私が「実は元気になるようすごく強く思ってましたよ」ってもしもあとで乗り切ったときにちょっとでも伝わったら、それはちょっと生きるのが嬉しくなるように思ってくれるんじゃないか、押し付けがましくなんて決してなりたくはないけど、別に好きでやってることだし趣味です、って感じでね、何も求めなければいいでしょ別に、勝手ですよねと思ってる。誰かの役に立ちたいなんてそんな独りよがりなことは思わない、ただそう思うしそれが別に許されるからやりますと、はい、やっぱり重いのかしら私?いいや軽いですよ綿毛並みですよ、とひたすら頭の中でグルグルグルグル思っている。多分寝不足のせい。