溢れ出してくるのを待っている
溢れ出してくるのを待っている。
私は今、ライブをする以外には普通の生活をしていて、普通に過ごしていて、
曲ができないと、自分が停滞しているように感じたり、
前の仕事をクビになったときに大口叩いたわりには、結局は仕事をしないと暮らしていけないことに気が付いて、今ふつうに世間から”なるべく浮かないように”仕事をしていたりする。
などなど、特別でありたいのであろう自分と、実際の凡人の自分を比べては「私このままじゃダメなのかな」、「もっと何か行動をしないといけないのかな」と思い、焦り、どうしたら今を抜け出せるのかと途方にくれる。
でも私は本当に心から求めることを我慢していた(というか、自分は実現する方法を持たないと思っていた)ときは、「このまま死ぬのだけは絶対に嫌だ」と思っていた。
今は、そうは思わない、どんな瞬間でも訪れるなら訪れろと思う。
一番最初に私は自分を壊そうとした。だから「壊せ、壊せ」と歌ってた。
今はそんなに壊さなくていいんじゃないかと思う。自分を守ったっていいんじゃないかと思う。
今だって、くだらないものならばいつでもぶっ壊してしまえばいい、という狂気も持ち合わせていても、大事に積み重ねたものならば壊さなくてもいいんじゃないかと思う。
そしてもし壊すのならば自分のものだ。人を、人との関係を、人の大事なものをきっと壊してはだめだ。
毎日毎日生まれ変われ。
明日も大して今日と変わらない日々がたとえ続いても、私たちの心の中の精神だけは更新していくことができる、”脳は100歳まで成長する”。
同じようなところでぐるぐる回ってるように思えたって、それがトルネードだったらだんだん上がっているんでしょう。そう思わせてくれ、本当に良いことは、宝くじのようには訪れない。
それは毎日出会う味気ないように見える景色の中に、誰かの心の中に、自分の中に、何かひとつでも美しいものが見えさえすればいい、
美しいものが見えるかどうかは自分の中にある感性、感性だけが頼りです。
それを研ぎ澄ませたあとは、勝手に溢れ出てくるのを待つ、涙のひとかけらのような些細なものでも、研ぎ澄まされたときの自分にとっては宝物のようなものだから。
”思うままに”というのは、そういうことじゃないかと思う。