「出てくるものだけ」

ライブ活動(歌っている)斉藤めいのブログ https://saitome.localinfo.jp/

高円寺

19日に高円寺喜楽で久しぶりにライブをしました。

「おまえ」というバンドの企画で。

悩んだんだけども配信がないということでこのご時世、正解かわからないけど宣伝を積極的にしなかった。

だけどもそろそろ私は、原点である喜楽に行かなくてはいけない、「おまえ」に会わなくてはいけないっていう本能からの指令みたいなもの(おおげさかも知れないけど)を感じてた。

 

何人かの"業界人"に、「高円寺にいてはいけないよ」と口を揃えたように言われたことがある。言わんとすることはわかる。日本のインドと呼ばれる東京の高円寺および周辺の中央線界隈は、「人間、そのままでいいんだぜ!」と言われているような街の雰囲気があって、ありのままを受け入れられるようでとても居心地がいい。その分向上心だとか野心だとか、時流に乗って上昇していくというような向上心が失われがち、だという現象があると言いたいんだと思われる。

上昇したいなら中央線にとどまるな、わからないけど『最先端』の場所に行け、と。

実際に、そういう傾向はあると思う。

 

ただ私はむしろ「今の時流こそ、もっと高円寺を取り入れたらいいのに」と思う。

※コロナとかは関係ない。
自分が上昇していくために、世界は何か人間らしいものを切り捨てすぎやしていないかと。向上心や野心で手に入れたものは素敵なことだし煌びやかで憧れる。だけどそれが一種の「競争」で手に入れられたもので、いくつもの屍の上に成り立っているものであればやりきれない。それでも皆、先細りして限られた三角形の頂点を目指すのか。いや、「みんな自由でいいじゃーん」という高円寺路線に、全体の方がシフトしてみたら幸せな人が増えないか。(野心・向上心はもちろん良いことで、ただ過剰になりすぎてるならバランスをとってもいいのでは)と私は考えてます。

 

話がそれました。

そうは言っても自分も「いつのまにか自分で作ったバリヤードで自分自身をがんじがらめ」タイプなので、何らか理想像があって、それに届かないがゆえに一人で苦しんでいるのだと思うんだけど、その苦しみが「これ!」っていう一言で言えるものではなくて、日々少しずつ、少しずつ積み重なってるのでモヤッと実態がなく、だから「これ!」という解決方法もなく、自覚もなく、いつのまにか『悪い沼』ハマってんなみたいなのがあるあるなので……。

誰かと仲たがいするくらいなら、言いたいことも言わないのが一番と、思うまでもなく無意識下に押し込める「気持ちに嘘」もあるある……。

 

だからそう、冒頭の、原点に帰る必要があった。原点は、「まっったくカッコつけや、嘘がない」音楽が集まる場所だった。

 

どこでも誰だって、別に嘘ついてなんてないだろうし心地いい場所は人それぞれだけど、あくまで「自分にとって」、「自分の感性と感応する場所」でありますのが高円寺喜楽。そしてあくまで私の中で「まったく嘘がないバンド」が「おまえ」というバンド。

「こんなときにライブなんて」という声が正しすぎて逆らえないと思ってしまうけど、それでも、自分が嘘で塗り固められる前に、心が死んでしまう前に行かなきゃいけない場所、話さなくてはいけない人だと思った。しかもイベント名が『怒られたって歌っちゃえ』っていうのもね。

ライブの内容はもちろんだけど、そしてその女性ベース(サポートメンバーだそうだが)のシュクさんがなんかもはや私のカウンセラーみたいな感じになりながらも、お互い爆笑しながら話したのだけれど、何かが晴れた感覚がして、そこから導き出されたのが

『答えなんかいらなかった。ただ人とじゃれたいだけだった』

っていうことで、わかってはいたつもりだけど本当にそうなんだわとちゃんと『腑に落ちた』。

シュクさんは笑いながら「今私、めいちゃんの言葉にかなり適当に答えてるけどね!笑 それで救われるなら、適当でいいってことだよ!」と言ってました。

適当でもいいから言葉が「雑」に交わされてるわけではないとわかる「信用できる相手」と、噓なく語り合えたかどうかが最も大事なんでしょうきっと。

自分の思考は出口がない。人と話すことは迷路に風穴をあける。空いた場所からよどんだ空気は逃げ出す。

人と会いにくい、こんなご時世だから当たり前じゃん!と頭では分かってはいても『だから我慢しなくては』と思ってしまう私みたいな人は、電話でいい、ラインでいい、少しフィジカル的に離れた距離でいいから、やさしい言葉同士でどうか誰かとじゃれあって。

 

ありがとう、音楽で出会った友達。そして本当にめんどうくさいな自分。

少し前の日記に「自分なんて取り払ってしまいたい」とか書いたの誰だ。

ああ面倒くさい。

こんな面倒くさい私のことなんて忘れてくださいとか思ってしまうし、

今周りにいる人たち、こんな極恥日記読んでくれる人たち、本当に大好きだけど、それがゆえに怖いから、そっちから先に去ってくれと思ってしまう。

その思考自体が本当にめんどうくさい……0か100かしかないのかよ「50」があるだろう、かっこ「」多いなこの文章、どうでもいいですね、すべてが、いやすべてはどうでもよくないですね!

私もあなたも、私のめんどうくさいこの思考も、あなたの感情も、すべて大事で、でも意味などないのです、すべてここにあるというのが確かなだけなのです、

良いも悪いも、善も悪もない、まず、すべては確かにここにあります。

それを認めたうえで、ちょっと落ち着いて息をした上で、それから先の道があるのです。

苦しいまま、息切れしたまま、なかったことにしたままが、ちょっとしんどかっただけなのです、思い出せたら幸せはすぐ近くにあるし、そこには大好きな人たちがいてほしい、いてください(なるべく)。

 

思い出させてくれてありがとう。シュクさん。

秘密の電話相手の友達。

そして高円寺。